河内英司のBtoBコミュニケーション

広告/マーケティングの側面からと、無駄話。

環境

渡り鳥とナビ。

冬の到来とともに、渡り鳥たちも気ぜわしくなってきているようですね。毎年きまったところに、きまった頃にやってくる。その数が環境問題のせいか、年々少なくなっているとはいえ、やっぱりきまった頃にやってくる。渡り鳥が、どうして行き先を判別できるのか、30年くらい前から研究されているのだが、まだはっきりとした結論は出ていないようだ。そんな中で、何となく、これだ、というのが地磁気説であります。多くの鳥には生体磁石、つまり身体の中に磁石をもっているらしく、これがコンパス代わりになって、方向が分かるのだそうです。身体の中に耳石器という器官があって、その耳石が磁性をもっている。これが地磁気の変化によって感覚細胞を刺激するのだ、とか。身体の中に、あの、磁石があること自体、大変不思議なのでありますが、実は多くの生物にその磁性体があることが分かってきています。有名なのは魚。サケが毎年同じ場所で卵を産むために帰ってくるのも、この磁石のおかげということです。ま、サケについては他に生まれ育った場所の臭いを記憶している、という説もありますが。
生体磁石の発見は、1979年に米国の大学生が海底の底に生息するバクテリアを見つけたことがきっかけといわれています。このバクテリアに磁鉄鉱を脂肪酸で覆った生体磁石の存在が分かったのです。磁鉄鉱なんぞ、地球上のどこにでもあって、それが海底の泥に生息する生物の身体に含まれる、と考えれば、そんなに不思議ではないですし、それと接する魚にも存在するのも、また、当たり前といえば当たり前です。ま、いわゆる食物連鎖のひとつなんでしょうか。
ところで、私たち人間の身体にも磁石があることをご存じですか。ひとつは脳下垂体という脳のちょうど真ん中あたりにある器官で、いろんなホルモンを分泌する重要な役割をもったところですが、この脳下垂体の前の方に磁気器官があるのだそうです。そしてもう一つは、脳の中央部にあるといわれる松果体という器官です。この器官は下等動物では第三の目といわれ、おもに光の明暗を感知するらしいです。鳥の松果体には時計機能も備わっていて、体内時計の調整にも使われています。人間ではここでも地場を感知することができます。さらには、人間の両目の間にある篩骨という骨にも、ごくわずかな鉄分が含まれていて、これが方位磁石の役割をしているとも言われています。こうしてみると人間も、なんだか磁石の固まりのようで、やっぱり地球人なんだな、と思ってしまうのであります。
最近は、なんとかナビといって、遠くに行くにも地図なしで、300メートル先右方向へ、といった音声ガイドが、もう生活の必需品のようになってしまって、そこらじゅうに地図音痴が増えていますが、もともと人間は鳥と同じように地図なしでも歩き回れる能力があったのですね。
鳥をはじめとした多くの生き物に磁石が備わっていて、磁石の親玉でもある地球と交信していたのは、まぎれもない事実ですが、渡り鳥の帰巣本能として地磁気説に異議を唱える学者もいるそうです。
ある学者が、意地の悪いことに鳥の頭に強力な磁石をくっつけて、わざと磁場の感覚を狂わせた実験をしたのですが、それでも鳥はきちんと方向を感知することができた、というのです。だから地磁気説は間違いだと。ま、どちらでもいいんですけど、実は鳥の目の中には櫛状体(しつじょうたい)という不思議な器官があります。字面からすれば、ちょうど櫛のようになった細胞とでもいうのでしょうね。ここで、映像をよりはっきりと見えるように調節するそうです。そしてこの器官を使って、なんと、昼間でも星座を見ることができるのであります。むかしNHKのウルトラアイという番組で、煙突の底から空を見れば、星座が見えるか、という実験があった。結果は残念ながら見えなかったらしいが、これは昼間、星を見にくくしている太陽からの散乱光をできるだけ少なくすれば、もしかして星が見えるかも、という期待から行われた実験で、ようは、煙突で散乱光を遮ってしまえば昼間でも星が見えるのでは、という理屈であります。鳥の場合は、櫛状体の櫛の部分で散乱光を遮って、星座を頼りに方向を察知しているというのがこの説。私は個人的には、この説の方がロマンチックで魅力的に感じます。
どの説が本当なのか、残念ながら我々人間の科学力をもってしても、まだ明確な回答は残せないままですが、自然と向き合っている生物には、ちゃんと生活していく機能がはじめから備わっているのですね。
たまには、ナビのお世話にならずに、気の向くままに生体磁石にでも頼って、歩き回ってみるのもいいかもしれません。

ちょっと植物について。

前回の猫の集会で、ふと、気になったことがある。集会が終わると、それぞれ思い思いにどこかへ去っていくのやら、適当な場所でくつろぎはじめるのだが、数頭の猫はお寺の大きな樹の下で、いっぷくしはじめる。丸くなって、ちょうど樹の根のへこみに、ちょこんと納まるぐあいに心地よさそうに。でも中には、じっと樹の幹の一点を見つめ続け、なにやら樹と会話でもしているかのような猫もいる。ま、たぶん、樹の幹に小さな虫なんかが動いているのでしょうけれど、もしかして、例のテレパシーで樹とお話ししているのかも知れない。
そういえば、親しくしているある大学の先生によると、植物はコミュニケーションをするらしい。人間社会でいう声に出して喋るのではないが、たしかに、会話するのだそうだ。今でもよく言われることだが、リビングで栽培している観葉植物に、今日は寒いけどがんばってね、と優しい言葉をかけると、生き生き育つといわれている。ま、真偽のほどはともかく、植物が人間の言葉を理解するというより、心を読み取る能力があることは否定できませんね。いやいやそんなバカな話はありませんよ、と科学者の皆さんはおっしゃるかも知れませんが、植物に読心能力がないことを、科学的に証明できないこともたしかなのであります。
猫が言葉を使わずに、お互いにコミュニケーションできるとすれば、猫は樹と会話していても、何の不思議もありません。
植物がほんとに声を出すのかどうか、よく分からないけれど、その先生によると、植物の体内電流だか生体電位だかをはかれば、確かに周りの仲間と会話しているような変化があるのだそうです。昔、小学生の頃、京都の糺の森(ただすのもり)の近くに住んでいた。この森は平安時代以前からあった古い森だが、夜になると、うっそうと茂った森の中へ、肝試しよろしくよく出かけたことがある。怖さ半分、好奇心半分の中に、ほんの少し、こんな真っ暗闇でもボクは怖くないんだぞ、とかすかなプライドを抱えて、外灯も何もない暗黒の別世界へ進むのであります。で、このとき、昼間ではほとんど耳にしない不思議な音が、しんと静まりかえった森の中で聞こえてきたのを今でも覚えている。虫の鳴き声や木の葉のこすれる音とはまったく別の、全宇宙的と言えるような不思議な音。もしかして、その音が、樹と樹の会話だったのかもしれない。
植物は、光合成といって、炭酸ガスと水から、酸素と栄養分を作りだす、素晴らしい能力を持っています。ま、要するに、自然の状態では空気中の炭酸ガスを吸い込んで、酸素をはき出す、という、動物にとってはまことにありがたい存在なのであります。が、人類の進歩と産業の発展によって、この植物の吸収量をはるかに超えた炭酸ガスが放出され、植物の宝庫でもある熱帯地方の森や林が伐採されて、炭酸ガスの吸収量が少なくなった。これが地球温暖化という、やっかいな環境問題ですね。つい先日もアメリカで、超大型のハリケーンが大きな災害を与えたけれど、地球温暖化がもっと激しくなると、台風やハリケーンの規模も、今では想像できないくらい巨大になるらしい。植物と台風、こんなところでも関係があるのですね。日本には、昔から全国いたる所に「鎮守の森」というのがあった。鎮守の森は神様がおられる森だそうで、みな大切に崇めてきた。地方に行けば今でも目にすることはあるけれど、都会では、もうほとんど天然記念物状態の稀少価値ゾーンといえます。この鎮守の森、そこに生えている植物はほとんどが「広葉樹」なんだそうです。広葉樹というのは、ドングリやブナのように、文字どおり、葉っぱの広い樹のことで、松や杉などは葉っぱが針のようにとがっているから針葉樹。じつは、光合成を一番効率的にするのは、この広葉樹なんです。葉っぱの面積が広いから、光合成作業も効率的にできるのはあたりまえといえばあたりまえですが、都市化によって、広葉樹をたくさん蓄えた鎮守の森が年々少なくなっていくのが、温暖化にも大きな影響を与えているのですね。最近は、鎮守の森の効果が見直されて、その再生活動が盛んになっていますが、いっぽうで熱帯雨林を守ろうとか、寄付金で熱帯に植林しましょうなどといったイベントをよく目にします。ほんとはもっと身近なこの鎮守の森や近所の森を守っていくことが、大切なのでは、と思うのであります。そうそう、植林といえば、あまり気づかない大切なことが、最近分かってきたみたいです。自然に生育している樹と、人工的に植林した樹とくらべてみると、光合成の能力に大きな差があるらしい。つまり、人工林の樹は光合成をすることはするが、バリバリの野性味豊かな自然林の樹の方がはるかに力強く光合成するんだそうです。やはり、過保護というか人工的に自然を作ろうとしても、自然は自然にしかできないのであります。先の大学の先生もおっしゃってましたが、自然林と人工林をくらべてみると、自然林の樹々は、あちこちの樹とダイナミックにコミュニケーションするけれど、人工林の樹は、ほんのお隣さんとだけしかコミュニケーションしないって。なんだか、最近の教育問題を象徴するようでもあります。
と、ここまで書いて、「動物センサー」のテーマから、かなり脱線していることに気がついた。調子に乗りすぎて「植物コミュニケーション」になってしまった。しかし、ですね、動物どうし、植物どうし、そして植物と動物のコミュニケーションも、それぞれがもっているセンサー能力が大きくものをいうのです。相手やまわりの状況を感知して、適切な行動をとるためのセンサーです。
たとえば、人間の目の感度は555ナノメートルの波長あたりが一番高いとされています。これはちょうど黄緑付近の色になります。逆に赤やオレンジなどでは、極端に感度が悪くなります。感度が高いということは、細かな色の変化を見分けることができる、ということですね。たぶん人類は、大昔、樹々の微妙な色の変化を見て生活に役立てていたのではないでしょうか。今でも長野県の山奥や、草原に行ってみると、まわりはほとんど緑で、5月頃には新芽が出てきて、緑の固まりの中にぽつぽつと黄緑色の集団が見える。赤やオレンジはまずお目にかかれない。古代の人類にとって、食物になる新芽を探すには、この黄緑付近の感度を強くしておく必要があったのだ、と思うのであります。
このように、動物はそれぞれに自然と共生するためのセンサー機能を持っていたはずですが、文明の進歩とともに、そしてセンサーに代わる道具の発明によって、とくに人類は、まったくおそまつなセンサー機能しか持たなくなった、と考えています。

地域ネコ地震予知ネットワークを考える。

猫が電磁波を感じて、地震の前に騒ぎ出す。これを利用した、というか、お世話になるとでも言える、地震予知ネットワークシステムなるもの、を考えてみた。我ながら、たいしたもんだ、と少々科学者気取りになっていたが、じつはすでにある大学で取り組んでいるらしい。
やれ花壇を掘り起こしたとか、フンがきたないとか、鳴き声がうるさいといって、人間社会に対する背任行為でもしているかのように見られているノラ猫。猫は、家畜の中でも、もっとも野生の習性を残している動物なのだから、まあ、大目に見てあげましょうよ。一方で、動物愛護の精神から、もっと地域に生息するノラ猫を手厚く保護していこうという動きもあるようだけど、よく考えてみると、それは地域社会の平和を保つために、猫たちをどのようにして管理するのか、といったあくまでも人間側の都合が先に立っているようで。ここでも、我が人類は地球上で最高の叡智を持つ存在なんだ、と言うおごりみたいなものが気にかかる。
ま、そんな人間のおごりも、一喝するような地震予知ネットワークなんです、これは。
日本全国に、いったいどのくらいの数のノラ猫が生息しているのか正確にはわからないけど、町中を散歩していても、一匹狼風の少し気取ったヤツとか、ちょっとガラの悪そうな怖いおにいさん風、よっこらしょといった肝っ玉かあさん風など。ひとつの町内に最低でも数十頭。そしてひとつの区には何千頭、と勘定していくと、もう頭がこんがらがって、えいっ、ニッポン全国何百万頭だ、と少々乱暴な予測をたててみたりする。
あの、「はい、今夜の関東地方は、南部では太平洋沿岸を進む低気圧の影響で曇りがちで、一時雨が降るかも知れません。」などというお天気おじさんで有名なアメダスも、全国で1300箇所と言うから、それをはるかに超える。このノラ猫たちに地震の予知センサーとして活躍してもらおうというのが、本ネットワークのねらいなのであります。
ところで、ノラ猫、とくに野良猫といった呼び方は、ちょっとぞんざいでヤクザっぽくて、世の荒くれ者みたいだから、地域ネコという風に、何となく社会との共生っぽいイメージを持つ呼び名に変わってきているらしい。ま、それはよいことですね。
その地域ネコすべてに、GPSつきの発信器をとりつけましょう。GPSというのは、そう、カーナビで随分お世話になり万人を地図音痴にするあれです。自分がいまどこにいるか、が即座に分かるこの最新技術を、猫の首輪と一体にできればよろしい。発信器を含めても、何これ、重いなあ、と猫に思わせないくらい軽量化と小型化がまず必要ですね。そのGPSネックレスを着けた猫たちからの位置情報を、地域ごとにネットワークで把握するシステムなのである。リアルタイムで送られてくる猫の位置情報が、ある限界、専門用語でしきい値というらしいのですが、ま、この限界を超えると猫が異常行動をしているのがわかるということです。そして地域ごとに地震予知警報を出す。
はじめのうちは、なんだ、またガセ情報か、こんな信頼できないシステムなんかやめてしまえ、などといったよくて当たり前式の非難の嵐でしょうけど、そりゃ、猫だって、気まぐれに暴れますよ。毎年2、3回恒例の種の保存行事に多忙ですし、たまには隣のテリトリーから来る不心得者のためにケンカすることもある。でも、長い年月かけて、異常行動の原因が地震の前触れ電磁波によるものかほかの要因なのか、データを積み重ねていけば、立派な予知システムに磨きをかけることができるのだ。人間や社会に大きな被害を与える大地震は、数十年か数百年に1回といわれています。ということは、このシステムの完成に数十年かけても、どこからも非難されることはない。
これが完成すれば、もう野良猫はノラ猫でも地域ネコでもない。人類の安全や財産を守る貴重な存在としてその立場を変えてくる。人はこうして活躍してくれる猫たちに敬意を表するでしょうし、猫も思うがままに遊び回れる。これがほんとうの共生なのだ、と考えるのであります。
今回の予知システムは、とりあえず、猫だけれど、ナマズや犬なども可能性はある。でも、ナマズは生息地が限られているし、野良犬はちょっと怖い。ま、そんなことで、ここはひとつ猫の超能力のお世話になりましょう。
こうして考えてみると、冒頭の「動物愛護精神」。ちょっと逆かも、と思ってしまう。この地震ネットワークに限らず、猫や犬の超能力で人が助かった、と言ったお話しは山ほどある。ときどき、人は地球上の動物や植物に生かされているのでは、助けられて生きているのでは、と考えることがある。最近のペットブームをよく見てみると、どうも動物愛護ではなくて、人間愛護のためにペットたちががんばってる、と思えなくもないですね。
大上段に構えて、動物愛護を唱えるのではなく、私たちをサポートしていただくために、生き物たちに敬愛の念をもって接しましょう。こんな視点に変えることが、これこそがほんとうの自然との共生といえるし、また自然や環境とのかかわりも変わってくるかも知れない、と最近感じるのであります。

スマトラ沖地震から学ぶもの。

ちょうど5年前の今頃。いつものように時を過ごし、さあ、来年はどんな年になるのかなあ、とちょっとあわただしくなった心の整理をはじめようかと思った矢先、スマトラの沖合で大きな地震がおこった。そして、後を追うように発生した大津波は、新年を新たな気持ちで迎えようとしていた、多くの人々や町並みや自然を、一気に飲み込んでしまった。
今なお、行方が知れずに見つからない気の毒な人たちが多くいる中で、なぜか、象や野ウサギなど動物たちはほとんど犠牲になっていないらしい。まったく信じられないことだけど、中には長い鼻で人を抱え上げ、そのまま一緒に丘へ向かって逃げ上がった象もいたとは。いざとなったら、動物たちは、我が身をかえりみず、人間を助けるんですねえ。どんな心境なんだろう、と思う。
なぜ多くの人たちが犠牲になったのに、動物たちが無事だったのか。これには、将来の人間社会、いや、地球全体の自然も含めた、むつかしくいえば生態系というか、要するに、これから人間が考えていかなければならない大切なことを、示しているといえるのです。
昔からよくいわれていることですが、ほとんどの動物には、何というか、センサーみたいな機能が備わっていて、自然でおこるいろんな現象がキャッチできるんだそうです。そう、定番はナマズですね。地震がおきる前に、ナマズが騒ぐというのは、むかし、おじいちゃんから聞いたような。動物たちは、たぶん、あたりまえのように、このセンサーを活用して、自然とお話ししているのでしょうけど、人間の側から格好よくいえば、「生きるために備えられた生命維持システムのひとつ」、なのでしょうか。たとえば、スマトラ沖地震の象は、津波によって生まれる超低周波を感じとったのでは、といわれています。ふつう低周波というのは20ヘルツ程度の音というか、空気の波なのですが、ドドドっと、半分聞こえるような聞こえないような、気持ちの悪い音です。工場のボイラなどから発生して、低周波問題として住民訴訟にもなっているあれです。津波の場合は、これに超がつく。10ヘルツの音波で人間にはまったく聞こえないし、これを察知して、いち早く逃げるなんて、とうてい人間にはできません。
あっ、そうだ。そういえば、阪神大震災のときも、猫や犬が地震のおきる少し前に、いつもと違った動きをしていた、と聞いたことがある。実際、身近なところでも、わが家のニャンチャンが、あの新潟県中越地震の10分前に、妙に怖じ気づいたそぶりをして、部屋の片隅でうずくまって、心配したことがあったな。あれ、電磁波感じていたんだね、きっと。まあ、こんな話、あちこちでいっぱいあるんだろうな。
猫が、地震の前触れとなる岩盤の破壊によっておきる電磁波(ようするに電波)を、感じることができるのだ。この電磁波の波長がどのくらいで、とか、むつかしいことは専門家でないのでよくわからないけれど、ちょうどいま、インターネットで検索してみたら、3月20日に発生した福岡県西方沖地震の数日前に、電磁波(FM波)が急増している、と警告されている。すごいね、地震がおきるらしいということは、ある程度事前にわかるんだね、もう。でも、残念なことに、どこでおきるか、いつおきるか、がまだ判定できないらしい、
地震は、言いかえれば地球の息吹であり、永遠に地球が存在する限りは、逃れられない自然現象なのです。地球が生きている証拠といえるかも知れません。地球には、多くの自然が満たされ、人もまたその一員でもある。地球環境問題を考えるとき、この自然とのかかわりを抜きにしては絶対に成り立たないでしょうし、自然とのかかわりを考えるとき、動物たちの行動が、大きなヒントを私たちに与えてくれるような気がするのであります。「地球に優しく」とか「自然との共生」など、あちこちの広告やテレビコマーシャルやらで大合唱ですけど、どこまで自然とのかかわりを真剣に考えているのかな。
これからしばらく、この場をかりて、動物や植物の生まれながらにしてもっている、自然とのコミュニケーションの装置とでも言えるセンサーを通して、環境問題とともに、私たちはどこに行くのか、を考えていきたいと思っています。


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河内英司(かわちえいじ)
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京都教育大学教育学部特修美術科卒業。電気機器メーカーにおいて一貫して広報宣伝業務に従事。広報室長・コーポレートコミュニケーション室長を経て、2014年3月退職。  現在、カットス・クリエイティブラボ代表。(一社)日本BtoB広告協会アドバイザー。BtoBコミュニケーション大学校副学長。(独)中小企業基盤整備機構 販路開拓支援チーフアドバイザー
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