河内英司のBtoBコミュニケーション

広告/マーケティングの側面からと、無駄話。

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業界展を活性化させる方法

BtoBコミュニケーション Q&Aシリーズ⑳

《質問》

私は弊社が属するある工業会の展示会委員として日常業務の傍ら、活動しています。当工業会では毎年展示会を行うのですが、集客が思うように伸びません。その結果、会員企業からも不満が続出し、当該展示会の縮小を検討しているところです。多くの会員企業は我々が行う業界展よりもテーマが明確な商業展に軸足をおいているのも事実で、当展示会への出展率は、会員企業のうち40%程度となっています。このままでは当業界展は縮小の一途を辿るのもやむを得ない状況です。昔は当業界展も会員企業の出展率が80%を越えていた時期もあります。もう一度昔のような活性化された業界展に戻したいと考えていますが、何か良い方法がありましたらご教授をお願いします。(メーカー・匿名希望)

《回答》

御社の属されている工業会に限らず、どこの工業会も同じような悩みを抱えておられると思います。つまり業界展を開催しても集客が伸びず、その結果展示会の価値が低いと判断され、さらに出展会員企業が少なくなる現象。現在は出展率が40%と言うことですが、突然40%になったのではなく、おそらくここ十数年の間に徐々に低下してきたのだと考えられます。

それは多くの企業の勘違いが原因になっています。一般商業展はともかく業界展に限れば2000年以降から徐々に集客率が低下し始めているのですが、その要因がじつはインターネットの普及にあるのです。従来の展示会の来場目的は70%が「情報収集」でした。これがインターネットの普及に伴い各社のWEBサイトで事足りるために、わざわざ展示会に足を運ぶこともなくなったわけです。したがって上述の情報収集を目的とした70%の人たちが展示会に来なくなったのですが、これは当然と言えば当然のことです。つまり展示会の機能のうち、情報収集がWEBサイトに取って代わっただけの話しです。そしてこれらの情報収集を目的とする人たちはほとんどの場合受注には関与しません。言いかえれば展示会の本来の機能である「見込み客の刈り取りの場」に無用な人たちが排除できたとも言えます。

にもかかわらず相変わらず情報提供(PR)を目的とする企業が後を絶ちません。もはや展示会はPRの場ではなく「営業の場」に変化しているのです。多くの企業はマスメディアやWEBサイトから引き合いを得ているはずです。これらの引き合いが「見込み客」です。広告やWEBサイトで商品を受注させることはBtoB業界ではほとんど不可能です。その見込み客を刈り取る場として展示会の価値があるのです。したがって展示会には見込み客を呼び込むことが前提になりますが、このことは本誌の201312月号で詳しく述べていますので参考にしてください。

ここで一般商業展と業界展の違いを見てみたいと思います。一般商業展はいわゆる展示会プロモータや新聞社などが主催し、時宜を得たテーマが明確になっています。それは何を意味するのか? 一般展示会では旬のテーマを掲げないと集客できないからです。言うまでもなく展示会プロモータや新聞社は御社の顧客に相当する企業を持っているわけではなく、主に前回来場者への案内とマスメディアを使用した告知によって集客します。そのために興味を持たれるテーマが不可欠なのです。

一方業界展は業界によって異なりますが、展示会委員会制度などで事務局を構成し、彼らが企画することになります。しかしながら彼らにはマスメディアもなくせいぜい前回来場者への案内程度しか集客の手立てはありません。あとは出展企業からの案内に頼らざるを得ないのですが、それを行っても集客が見込めないと言うことは、おそらく出展企業も「顧客」や前回来場者(自社ブース)への案内に留まっているのでしょう。しかし会員企業には「見込み客」という強力なデータベースが存在しているはずです。理論的には顧客リストの数倍の見込み客があるはずですが、それがきちんとデータベース化されていないため、適切な案内ができていないのだと考えられます。

会員企業のほとんどが一般商業展に軸足をおいていると言うことですが、それは自ら集客しなくても主催者側が集客してくれることを期待しているからです。その結果仮に自社ブースへの集客が多くなったとしても、果たしてその来場者が受注に結びついたかどうか極めて疑問です。まあ、来場者数を展示会効果と判断するならそれでもいいのでしょうが、本来の展示会効果は受注額であることを忘れてはなりません。その意味では一般商業展でも業界展でもまず出展企業自らが見込み客を集客することが重要です。

ここで簡単な計算をしてみましょう。たとえば出展企業が100社だとして、各社が500人の見込み客を呼び込めばそれだけで来場者数は5万人になります。実際は集客可能な見込み客はその数倍程度有るはずですから、各社が真面目に見込み客を集めれば膨大な集客が得られることになります。このことを忘れられている業界団体が非常に多く存在しているのが事実で、大変もったいないと感じています。

なぜなら一般商業展と異なって業界展の最大の使命は「業界のプレゼンスを上げること」だからです。出展率が40%と言う御社の属されている業界は、大変失礼ながら業界のプレゼンスを向上させるよりも自社の利益を優先する企業が多いのでは、と推察できます。

業界展が盛況になり集客も満足できるようになれば、自然に業界全体が活性化し最終的には会員企業それぞれの利益に貢献するのです。業界展にはそんな価値が含まれていることを忘れてはなりませんし、一般商業展と大きく異なる優位性でもあります。

展示会はその規模にほぼ比例して集客数が変化します。極論を述べれば御社の属されている工業会の会員企業すべてが出展し、それぞれの企業が抱えている見込み客を呼び込めば単純計算でも2.5倍の集客になります。しかも見込み客を呼ぶわけですから受注の確度は遥かに高くなります。その結果業界全体が活性化してくるのです。

ここまで極端でないにしろ、まず会員企業に前述の内容を周知していただき、徐々に出展企業を増やして見込み客を呼び込むことを徹底すれば、自ずとその業界展の規模は徐々に大きくなってくるはずです。規模が大きくなればあとは自然に出展企業は増加してくるものです。

現在は前述のような手法、つまり見込み客相手ではないところに案内状を送付し、その結果来場者も少なくまして受注には結びつかない。来場者が少なく受注に結びつかないから出展する企業が少なくなる。そうすると展示会の規模が縮小し、さらに来場者が減少してくると言った悪循環にはまっていると考えられます。

まずは会員企業が業界展の意味を十分理解し、自社の利益よりも業界全体の利益を優先するようにスタンスを変えなければなりません。そして集客は「見込み客」に限定することを徹底すれば、必ず御社の属されている業界展は復活します。     

知能と知識、そして情報。

地球環境と対話する動物のセンサーについて考えれば考えるほど、ま、だいたい人間のセンサーは動物たちとくらべると、恥ずかしいくらいいい加減であることが分かってきた。そういえば、去年の冬は、いつになく寒かった。デパートなんかでも、冬物の洋服がどんどん売れて、日本のGDPに貢献したらしい。でも、こんなことやってるのは人間だけで、動物たちは寒かろうが暑かろうが自前の洋服をきちんと取り替えて、一年をうまく過ごしている。
洋服という人工物を作る知識と技術を身につけたから、自然との対話を忘れたとも言えるし、自然との対話と引き替えに、この技術を身につけたとも言える。どっちにしても、人間は自然とともに生きる動物に、なくてはならない自然の微妙な変化を感じとるセンサーを捨てて、合理的な代替物と共に生きる道を、選んだわけだ。
日常生活に一番身近な天気にしても、むかしなら、長老のおじいさんが、空を見上げて、ン?、明日は雨だ・・・といったら、たいがい雨だった。最近は人工衛星やコンピュータを駆使して、天気予報してるけど、残念ながらカエルの予報の方が当たってるような気がする。
おじいさんの天気予報とコンピュータの天気予報では、そのもとになる情報の量は格段に違う。というより質が違うのかな。おじいさんのは空を見て、雲を見て、風の流れを見て、ま、ほかに鳥やカエルやそこらにいる動物の動きを察知して、ン?明日は雨だ、となるんだけど、その頭の中は、おじいさんが生きてきた毎日の出来事がぎっしり詰まっていて、その情報と照らし合わせて天気予報しているのだろう。勘、といってしまえばそれまでだけど、じつはその勘こそがセンサーと同義語なのであります。そしてこの勘というものは、白か黒か、プラスかマイナスか、1+1=2といった、理屈にかなった見方とはまったく無縁の代物で、白みがかった黒であるとか、1+1=2.5かもしれないというような、ま、いい加減といえばいい加減な世界なのですね。
いいかえれば、コンピュータに何もかもお任せの今の時代に生きている人たちは、勘がにぶいともいえるわけですが、ほとんどの現代人からは、それがどうした、と開き直りのお言葉を頂戴するでしょう。
コンピュータが私たちの暮らしにあふれて、たしかに便利になった。とりわけ1995年頃から普及しだしたインターネットで、どんな情報でも自宅でせんべいかじりながら手に取ることができる。でもその一方で、どうも情報を処理する私たち人間の能力に、かげりが見え始めているらしい。
ここに面白いデータがある。総務省からだされた、「情報流通センサス」報告書を見てみると、インターネットが普及する前の1980年頃は、電話やテレビや新聞や、ま、ありとあらゆる情報の、一年間に発信された量が13.4京ワードだという。京というのは何も京都の略称ではなくて、いち、じゅう、ひゃく、せん・・・と進んでいって、兆の次の位のことで、ケイとよばれて10の16乗という膨大な数字になる。一方で、そのときに私たち人間が消費した情報量は、1.21京ワードだったので、10個にひとつくらいは選ばれて、自分の役に立つように使っていたといえる。このときはまだまだ人間の情報処理能力には余裕があった。でも、インターネットが普及しはじめた1996年頃では、情報量は43.5京ワードで、消費情報量は2.83京ワード。ま、20個にひとつとなりました。そして2003年にはなんと4,710京ワードの情報のうち、消費できたのは20.3京ワードということで、230個にひとつとなってしまった。人間の能力もたいしたもので、この間の情報処理能力は20倍に増えているけど、もうそろそろ限界に近いのだとか。
いいかえれば、1980年頃は、ご飯食べなさい、勉強しなさい、手を洗いなさい、と10個いわれて、はいはいわかりました、それではご飯を、となって、ま、何とか余裕が持てた。それが今では、ご飯食べなさい、勉強しなさい、手を洗いなさい、学校行きなさい、本を読みなさい、テレビを見るな、遊ぶな、こっちへ来い、と230個もいろんなこと言われて、もうシッチャカメッチャカのなかでなんとかひとつ選んでいる状態なんだ。
こんなに情報があふれた暮らしの中で、それこそ自然との対話なんぞ、しているヒマもないし、その間に私たちの勘はにぶり、センサーが衰退していくのであります。
実際、まわりを見渡してみれば、ここ十数年の間に私たちは、これでもか、といわんばかりの情報に囲まれ、知識も昔とは比べものにならないくらいに増えた。でも、たとえば、地下鉄の座席で周りの目もはばからず、ワシの足はこんなに長いんだ、といわんばかりに大きくふんぞり返っているオジサンや、世界は家庭の延長という感じで、わがもの顔で携帯電話に熱中する人など、けっしてモラルというか、人間の質みたいなものが良くなったとは思えない。
他人の微妙な心を感知できるセンサー、人を気遣うセンサー、こういったコミュニティーで生きていくのにだいじなセンサーの機能が、最近故障だらけというのも、地球環境の破壊と無縁であるとは思えないのであります。
以前、このコーナーで、一ヶ月くらい何も話さない、言葉を使わない状態を試してみたら、きっと私たちのセンサー能力がよみがえる、といったけど、同じように、一ヶ月くらい、ちまたの情報を遮断して、仙人気取りになってみるのも、いいのかもしれない、と思う。
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河内英司(かわちえいじ)
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京都教育大学教育学部特修美術科卒業。電気機器メーカーにおいて一貫して広報宣伝業務に従事。広報室長・コーポレートコミュニケーション室長を経て、2014年3月退職。  現在、カットス・クリエイティブラボ代表。(一社)日本BtoB広告協会アドバイザー。BtoBコミュニケーション大学校副学長。(独)中小企業基盤整備機構 販路開拓支援チーフアドバイザー
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