感動的な出来事があったので、今回は動物センサーから少しずれるけれど、ちょっとムダ話をしてみます。
近くのお寺で毎夜、猫たちにお食事デリバリーをして、もう11匹の大集団になってしまった。時折遅刻してくるものや、お休みの猫もいるけど、ま、賑やかなレストランテのひとときを楽しんでくれている。不思議なもので、毎日ちゃんと決まった時間にお食事がもらえるとなると、ちょっと前までガサガサしてなんとなく落ちつきのなかった子も、見違えるようにお利口さんの礼儀正しい猫になってしまうのである。11匹の組織を上手く守っていくために、自然とリーダー役や世話役、争いの仲裁役なんかが決まってくるのだ。でもその中でも、いぜんとして自分を絶対に曲げない頑固な輩も、いる。ゴエモンというその猫は、容貌も不気味でとても普通の猫とは思えない大きな顔に、目と鼻ががさつについている。辺り構わずケンカを売ってくるこのゴエモンが来ると、他の猫たちは、まるでツチノコのように一斉に這い蹲ってその行動を注視するのであります。だからゴエモンだけは、みんなと少し離れた場所でお食事をとってもらうことにしている。
今から3ヶ月くらい前、リナという雌猫が1匹の仔猫を連れてきた。リナはそれまでそんなにお腹も大きくなく、ほとんど毎日お寺に来ていたので、その仔猫がリナの子かどうかは分からないけど、見た目にはほほえましい親子だ。初日から数日間、リナは決して仔猫を10匹の集団に近づけようとはせず、お寺の山門あたりに一人残し、自分だけ食事に来ていた。あまりにもかわいそうだと思って仔猫の近くに食事をもっていくと、恐る恐る口を付けるが、遠くからじっと見つめているリナの視線がある。やがてそれから数日たつと、こんどはレストランテと山門の中間当たりに仔猫を移し、自分もそこで食事をするようになった。というより、自分の食事を分け与えているような優しい素振りが伺える。食事が終わると、リナは仔猫の毛繕いに精を出し、仔猫はお母さんに甘えたいのが半分、他の猫たちと遊びたいのが半分、といったどこかぎこちなさげな様子。この仔猫にシジミという名前を付けた。
それから数日たつと、相変わらず食事の場所は同じだが、食事のあとのシジミの毛繕いが終わると、リナはシジミから離れていくようになった。シジミはどういうわけか、あのゴエモンがたいそう気になるらしく、彼の元に歩み寄ろうとするのだけど、ゴエモンが「なんか用か?。このチビ。」って様子で睨みつけると、シジミは一瞬でたじろいでしまう。このときもリナは数メートル離れたところから、じっとシジミの行動を監視している。言うまでもなく、11匹の猫たちの中で、唯一ゴエモンだけが不良というか、背中に入れ墨のごとくにマークされている注意人物なのだ。他の猫にはあまり気にしないリナが、ゴエモンだけにはいつも注意を払っているようで、必ずどんなときでもシジミとゴエモンの間に、リナがいる。
じつはこのシジミ、11匹の中のチッチという雄猫にそっくりなのだ。チッチはレストランテをはじめたときからのチャーターメンバーで、もう3年近くのつきあいになる。ちょうどシジミくらいの大きさの時だったな。よく眺めてみると、シジミとリナの関係以外に、必ずチッチが絡んでいることが分かる。ゴエモン包囲網の時も、リナはゴエモンとシジミの中間地点に位置し、チッチはそれとは90度位の角度を持ったところで監視をしている。ゴエモンが「もうワシは腹一杯。帰る。」といったときも、シジミとリナ、チッチの位置関係は微妙に維持されながら変化していくのだ。ゴエモンが去った後は、3匹でほんとに仲むつまじく食後のひとときを、まったりと過ごしている。雄猫は自分のこどもの面倒は見ない、とよく言われるが、この光景からは決してそんな風には思えない。お父さんの役割をきちんと果たしている。
そんな状態がひと月近くたった時、食事が終わってほとんどの猫が三々五々帰った後、シジミが一人で樹で爪研ぎしたり落ち葉で遊んでいた。ああ、やっと親離れしたんだな、と頼もしく思って眺めていると、背中の向こうで何やら気配がする。ん?、と思って振り返ると、10メートルくらい離れた暗闇で、やっぱりリナが監視していた。そしてよくよく見渡してみるとチッチも別の方向から。おもわず、あっゴメンね、と呟いてしまった。
あるとき、もう何もかもがおもしろくて仕方ないシジミが、他の猫同士がにらみ合いをしているその真ん中を、さっと通り過ぎた。「ね、みなさんケンカなんかしちゃだめですよお。」という風で、あるいは、「そんなに睨めっこしないで、僕と遊ぼうよ。」といわんばかりに足早に通り過ぎた。するとリナはおもむろにシジミに近づいて、猫パンチ1発。「あの人たちはね、今むつかしいお話しをしているの。邪魔しちゃだめ。」と無邪気なこどもを窘めるように。
またあるときは、「はやくちょうだいよお。おなかすいた。」とニャオニャオお食事を催促していると、「黙って待ってなさい。そんな声出すと怖いおじさんに見つかっちゃうから。」といわんばかりに、このときもリナが強烈な猫パンチ。よく、母親にちゃんと育てられた野良猫は、上手に道路を渡るので車に轢かれることが少ないけど、早くから母親と離れたこどもはそれが分からないから交通事故に遭ってしまうといわれる。こうして大人の社会に上手くとけ込んでいく術を、身をもって教えているんだな。
この3ヶ月間、よちよち歩きのこどもが、どのようにして一人前になっていくのか、そしてそのときの母親や父親の役割がどんなに大事なものか、知らされた。たぶんお寺に来た頃が生後2〜3ヶ月だから、今ではもう人間に直すと10歳近くになっているはずだ。まるで早送りのビデオを眺めているように、子育てで一番大切な時期を目の当たりにすることができた。食事が終わった後は、いつもリナやチッチのそばから離れなかったシジミは、今では他の猫たちとそれぞれに楽しそうな時を過ごしている。リナやチッチはまるで何事もなかったかのように、決してシジミの世界を侵そうとはしない。別に保育園にも幼稚園にも行っていないし、母親学校にも行っていない。生まれながらにして持っている、母親としての本能と、父親としての本能が、また新しい大人を育て上げたのだ。そして見事とも言える親としての引き際。
親離れのできないこどもや子離れのできない親。新聞を見ればこどもの虐待やいじめ。地下鉄に乗ればお年寄りをさしおいて、我先に席を取ろうとする横着なこども。こどもをほったらかして、パチンコに現を抜かす親。
動物的とか本能的とかといえばちょっとワイルドで、理性とは対極にあるような言葉だけど、むしろ動物にはそれこそ倫理をも含んだ論理的な生き方や生かし方が、その本能に備わっているのだ、と教えられた。