《質問》
《回答》
時宜を得た非常に重要なご質問です。パワハラ規制は場合によるとクリエイティブに壊滅的な影響を与える可能性があります。
パワハラ規制は営業職などルーチン業務に関してはある程度有効かも知れません。しかし、すでにご存じの厚労省から提示されているパワハラの6類型の中で、ほとんどはいわゆる就業規則で明記されているものです。したがって語弊があるかも知れませんが、パワハラと称されるものは今に始まったものではなく、以前からあった事案であり、そこを就業規則と照らしながらうまく対処してきたのがほとんどの企業の実態だと思います。それを今さらながらにパワハラ規制を厚労省が打ち出してきたのには昨今の企業システムの脆弱化と過大な弱者救済の風潮があるのでしょう。
さて本題のクリエイティブにおけるパワハラの影響ですが、前述のルーチン業務と異なってクリエイティブ業務には結論が明確でない事案が多数あります。たとえば営業なら売り上げノルマとして結論は明確に出来ますし、生産現場でも同様です。しかしクリエイティブ分野ではこれが非常に曖昧になってきます。わかりやすい例を挙げると、広告デザインの評価を行う場合、本来は造形基礎理論やコンセプトに基づきさらにオーディエンス(顧客や社会)の立ち位置から判定を下すものですが、現実的には社内の論理や個人的な好みによる曖昧な判断が今でも通用しています。
このようにクリエイティブ分野での業務は感覚的に判断する要素が非常に多いため、判断を受ける側からすれば人によっては自分の能力を否定されたと感じる場合もあるでしょうし、もっと頑張らなければ、と思う人もいるでしょう。
クリエイティブを外注する場合と内制する場合とでは多少異なりますが、まずクリエイティブ担当者とその管理職がどれほど基礎理論を熟知しているか、が大きな課題になります。前述したようにクリエイティブ業務は感覚的に判断しがちだと述べましたが、じつはそこには確固たる造形理論や色彩理論、さらには広告であればオーディエンスの行動論にまで及ぶ基礎理論を熟知している必要があります。それをもとに担当者や管理職が自分の研ぎ澄まされた感性によって判断するということです。
しかし最近はこの基礎理論に対する知見が全くない管理職や担当者が多くなり、単に自分の感覚や好みでクリエイティブを評価するケースが多く見受けられます。セミナーなどでも基礎理論の話よりも他社の事例を教えて欲しい、といった意見が数多く寄せられます。これは理論はともかくどうでもいいから、手っ取り早く他社の事例を参考にして結果を出したいという焦りから来るものです。他社の事例を参考にしても、基礎理論を会得していない場合は他社のクリエイティブの方程式通りに対応せざるを得なくなり、それ以上のクリエイティブは期待できませんし、広告としてそれは致命傷になります。しかり基礎理論を熟知していれば、方程式の変数を自由に入れ替えられますから他社の事例からさらに一歩進んだ独自のクリエイティブが期待できるのです。
クリエイティブ部門におけるパワハラにはいくつか考えられますが、内制の場合最も多いのは出来そうもない時間内に「これをやっておけ」という指示でしょう。厚労省の類型での「過大な要求」に当てはまるものです。しかし本当に与えられた時間内に出来ないのかどうか再考してみる必要があります。以前本欄で「クリエイティブ業務の効率化」として述べておりますが、クリエイティブはプロになればなるほど無駄を排除し効率的な仕事をするものです。たとえば今まで1時間かかっていた仕事を15分で行うのはやりようによっては十分可能な範囲です。
しかしここで大きな問題は、指示を出す上司がクリエイティブに対する基礎理論を熟知しているかどうか、です。造形の基礎すら知らない上司に「この仕事を1時間でやれ」なんて言われたら、受ける側はまさに「過大な要求」と感じてしまうでしょう。基礎を熟知した上司なら「○○さんなら少し頑張れば1時間で出来る」と工程見積もりをした上でどうすれば時間内に完成させることが出来るか適確に指導できるはずです。したがってクリエイティブ部門の管理職は、まず基礎理論に対する知見を十分会得しておくことがパワハラを防ぐ第一歩になります。
部下である一般社員も基礎理論をしっかり持っておれば、「この仕事はこういう理由で1時間では出来ません、1時間半なら出来ます」とはっきり言えるはずですし、このようにして上司と議論を積極的に行う風土を作ることもパワハラの防止に役立ちます。
さらに各企業でほとんど当たり前のように行っている上司や役員に対するプレゼンは、以前本欄でも述べましたが全く無意味です。なぜなら基礎理論を駆使して創り出した作品を、基礎理論など全く持っていない役員が判断できるはずがありません。ましてやオーディエンスの立場に立った意見は期待できないどころか、自社の論理だけで作品の評価をし「この作品はダメだな。もっと違うのを創れ」などと言われたらそれこそ役員によるパワハラとも言えます。
このようにクリエイティブ部門におけるパワハラ規制は、非常に難解な要素がありますがまずは管理職やその部下がクリエイティブに対する基礎理論をしっかりと身につけ、職制を超えて自由に議論できる風土を作る必要があります。そして部下の人たちは、たとえ自分の作品が否定されたとしても決して人格まで否定されたのではなく、基礎理論から見て不備な点がどこにあるのか、を探し出し次の作品に生かすことがむしろ自分のスキルをさらに伸ばすことにつながってきます。
議論の場となると上司も部下も真剣勝負ですから時には耳の痛い言葉が飛び交う場面があります。それをパワハラだと決めつけてしまうともう議論は前に進みません。先にパワハラ規制はクリエイティブを壊滅させる危険性があると述べたのは、パワハラを恐れるあまり上司が部下に対して適切な指導を躊躇したり部下との議論の場を避ける結果、クリエイティブがないがしろになってしまう恐れがあるという意味です。