河内英司のBtoBコミュニケーション

広告/マーケティングの側面からと、無駄話。

BtoBコミュニケーション

よいメッセージ広告の作り方

BtoBコミュニケーション Q&Aシリーズ⑨
 

《質問》

電子部品関係の中堅企業で広告を担当しています。先日ある講演会で、「広告にはメッセージ性が必要だ」といわれました。そもそも広告は広告主からオーディエンスに向けたメッセージだと思うのですが、あえてそこにメッセージ性が必要という意味がよく理解できません。通常の広告とメッセージ性を強調した広告の違いはどこにあるのでしょうか。また本当に広告にメッセージ性が必要なら、具体的にどのような視点で広告制作を進めればいいのでしょうか。質問内容が抽象的かも知れませんが、できるだけ分かりやすくご教授いただければ幸いです。(電子部品メーカー広告担当)

 

《回答》

ご指摘のように広告はすべてメッセージです。しかしメッセージとメッセージ性とは少々異なった意味合いを持ちます。いうまでもなくメッセージとは伝えたい言葉や内容、つまり広告で言えばキャッチコピーやボディコピー、ビジュアルなどすべてがメッセージと言えます。

一方広告でのメッセージ性とは、メッセージの意味をオーディエンスに想起させることを意味します。なんだか禅問答のように聞こえるかも知れませんが、じつは意外に広告主が伝えたい内容(メッセージ)がそのままオーディエンスに理解されるとは限らないケースが少なくありません。それどころか、単刀直入のメッセージは昨今の時代、見向きもされない場合もあります。その要因はインターネットなどに代表される情報の過剰供給にあります。インターネットが普及する以前と比較して我々は現在では膨大な情報に晒されています。その量は数千倍になるでしょう。一方で情報消費量はたかだか数十倍に過ぎません。要するに我々はもはや情報に対する消化不良を起こしているのです。

そんな中でいくら広告でメッセージを発信しても、見てくれるだけで有り難い。とてもメッセージの内容まで理解してもらえない、という現象に陥っています。それが最近「広告が効かない」と言われる所以です。

広告はとかく注目率が注目されますが、いくら注目されても記憶されさらにリコール(思い出し)されなければ意味がありません。インターネット普及以前の情報量が穏やかな時代では、注目されれば無意識に記憶プロセスまで及んでいました。しかし前述のように情報の消化不良の中では、記憶プロセス開始前にまた別の情報に晒され正常な記憶をなされることが少なくなっています。

したがって広告分野でのメッセージのあり方は、インターネット普及以前とその後では大きく変革しているのです。私はその混乱を避ける意味で単刀直入なメッセージは「アピール」と称しています。情報の伝達効率を考えれば単刀直入に言いたいことを述べるアピールが優れているのは言うまでもありません。しかし前述のようにそれが記憶されなければ広告の意味はなくなってしまいます。

少し横道にそれますが、文学の分野では文章の書き方に「異化」と「自動化」と言われる手法があります。通常分かりやすく書く言葉は「自動化された言葉」であり、たとえば「コーヒーカップ」などがそれにあたります。しかしあまりにも自動化された言葉はただ単に言葉を追いかけるだけで印象に残らず、読み手に考える余裕を与えません。それに対して「異化」はコーヒーカップならたとえば「焦げ茶色の液体を満々とたたえた真っ白な存在」などと表現します。読み手の頭の中では一瞬ではありますが、これは何を意味しているのか、と考える余裕ができます。その「考えること」が記憶に繋がってくるのです。文学作品にはよくこのような手法が用いられますが、それは何も文学らしさを表現しているのではなく、作者のメッセージをできるだけ読み手に正確に伝えたい現れでもあるのです。

話しを元に戻しますが、広告は記憶されなければ意味がありません。そして記憶されるためにはオーディエンスに「考える余裕」を与えなければならないのです。簡明直截な広告は一見合理的でコミュニケーション効率がよいように思われがちですが、意外にも記憶に残らないものなのです。

また別の観点からもアピールの強い広告は現在のような時代ではむしろ逆効果となります。たとえばどこの世界に「私は素晴らしい人間です」と大手を振って自慢する人がいるでしょう。広告主は気づいていないでしょうが、アピール広告は自らを恥ずかしげもなく自慢している広告とも言えます。そのような単刀直入な表現をしても現在ではネットで検索すればすぐに本性がばれてしまいます。このようなアピール広告が多いことが広告によって商品が売れない要因ともなっているのです。

ではどのような広告が望ましいのか。「私は素晴らしい人間です」という意味をオーディエンス自らが想起してくれるような表現がこれからの広告には欠かせません。

これが「メッセージ性」のある広告なのです。前述の異化と自動化でお話ししたように、あまりにも分かりやすい言葉は文字だけが素通りしてしまいますが、オーディエンスに僅かでも考える余裕を与える広告は、必ず記憶に残ります。そしてそのインパクトが強ければ強いほどリコール(思い出し)の確率が高くなってきます。広告ではビジュアルがそのインパクトの役割を担っています。

商品広告における最大のメッセージは、自社商品のアピールではなく顧客やマーケットの抱えている課題(アサイメント)の提示とそのソリューションの紹介になります。ここで重要なのはとかく顧客ニーズを叫びがちですが、顧客にとってニーズはすでに把握しているものであり、そのための情報収集はすでに行っているはずです。したがって余程インパクトのある広告でない限り見逃される危険性があります。一方課題はまだ顧客が気づいていないことも多く、それを提示することで顧客に対して「気づき」を与えることになります。これは非常に記憶定着率とリコールが期待できるものなのです。

課題の探索手法などについては、すでに本ブログで「ASICAモデル」の紹介をしていますので、紙幅の関係上ここでは割愛します。

また企業広告やブランド広告の場合は、顧客のみならず社会が抱えている課題に対して自社の技術や商品、あるいは人材でどのように対応できるのかを述べることが重要です。ここでも社会のニーズではなくあくまでも課題探索が肝心です。つまり、企業の存在価値は社会をよりよくすることにあり、そのためには社会や国民が気づいていない課題を明確にし、そのソリューションを提示することなのです。しかし社会を相手にする課題となるとかなり大がかりなソリューションが必要となりますので、そこまで行かなくても課題提示とそれに対応する姿勢を述べるだけでも効果があると考えています。

「アピールからからメッセージへ」の姿勢が、よいメッセージ広告を作り上げる最高のトリガーとなるのです。

上司の説得の仕方

BtoBコミュニケーション Q&Aシリーズ⑧
 

《質問》

我が社は中堅よりもやや小さい中小企業の部類に入り、広告宣伝予算はそのつど策定されておりますが、策定の根拠はあまり明確ではありません。宣伝担当は私を含めて3名です。仕事内容は僅かな雑誌広告とWEBサイト(あまり情報は入っていません)、そしてカタログと展示会が主となっています。ここ数年宣伝活動は代わり映えせず、なんとか新しい取り組みを行いたいと上司に提言することがあるのですがほとんど却下されてしまいます。その理由は「予算がないから」です。上司の気持ちも分かりますが、このままでは同じ仕事の繰り返しで、私以外の部員の士気も極端に低下しつつあります。上司を上手く説得して新しい提案をどんどん取り入れて我が社の宣伝部門の改革を行いたいと考えています。相談室にお願いするのは的外れかも知れませんが、上司を説得するよい方法があればご教授いただけないでしょうか(部品メーカー宣伝チーム)

 

《回答》

この種の相談はよく受けるのですが、回答をここで行うのには少し抵抗があります。それはこのブログを当該上司が読んでいるかも知れないからです。しかしその上司にもまた上席者がおります。つまり貴方の提案を受け入れるのには上司の上司を貴方の上司が説得する必要があるのです。したがってここでは貴方とその上司の参考のために私の考えを述べたいと思います。

貴方がいくら優れた提案をしても予算がなければ通してもらえないのはどの企業でも日常的にあります。ここでは二つの大きな課題が潜んでいます。

一つは所謂ファンドとしての広告宣伝費全体の予算がどの程度あるかと言うことです。広告宣伝活動はいわば企業同士の戦争に用いる武器の調達資源になります。これが少ないと余程の優秀な武器(優秀な企画)がない限り勝つことはできません。

 広告宣伝費の予算策定の手法ですが、さまざまな手法がある中で最も多く用いられているのは「前年度売上げに対する比率計算」です。たとえば前年度売上げが100億とします。そして宣伝予算比率を売上高の0.5%とすれば、広告宣伝費は5000万円になります。この比率は各社によって異なりますが、BtoB業界ではおおむね0.50.8%程度と捉えて良いと思います。つまり競合企業と戦争を行うのにどの規模の武器があれば勝てるのか、がその比率の根拠になります。もし相手の競合企業が御社の倍の売上げを持っているとしたら広告宣伝費はほぼ倍の予算を持つことになりますから、なかなか難しい闘いを強いられることになります。

こんな状況下でおそらく無理をして闘わず、現状維持のままなんとか生きながらえようとする姿勢が、宣伝予算策定の根拠が明確になっていない理由だと考えます。企業によっては必ずしもこの手法を否定することはできませんが、このままでは御社は一向に成長することはないでしょう。

なぜなら、広告宣伝費というのは経費ではなく「投資」の概念があるからです。とりわけBtoB業界は商品の認知から購買まで長ければ数年かかることもあります。だから広告宣伝費は数年後の受注のための投資と考えるわけです。私の経験でも、広告宣伝費を極端に増減した反動は25年後に現れてきます。これはまさに「投資」と同じ考えです。

御社の場合はどのような策定手法が好ましいか分かりませんが、まず前年度売上げ(単体)の0.6%程度を確保すべきだと思いますし、この数字を経理と予算折衝するときに明確に示す必要があります。有価証券報告書を見れば同種企業の売上高広告宣伝比率は計算できますからまずこのデータを整備することです。ただ有価証券報告書で言う広告費と現実のそれとは若干の違いがあります。企業によってはたとえばカタログなどは広告費としないところもありますから、多少の誤差が出てきますがこの際それはあまり気にしない方がいいでしょう。

まずはこのようにして毎年何らかの根拠のある広告宣伝予算の確保に努めることが重要な課題です。けっしてその場限りのお手盛りで策定すべきではありません。とりわけ経理部門は数字しか見ていませんから、次年度の景気が芳しくないと予測すれば策定比率を落としてくる場合が多々ありますが、ここは頑としてその比率を守ることが重要なポイントになります。

私が広報の責任者になった時点では売上高広告宣伝比率は0.6%でしたが、それを10年かけて1.3%にまでもっていきました。ずいぶん無茶なやり方だと言われましたが、それによって数年後には企業ブランドは向上し売上げも着実に伸び、やはり宣伝費は「投資である」ことを実感したものです。

まず上司には予算折衝に於いて適正な予算確保が経常的に行えるよう経理部門を説得してもらう必要があります。

話しは戻りますが、そのようにして予算が確保できたとしても競合企業の半分程度にしかならなかった場合にどうするのか、です。競合企業と似たような当たり前の広告やカタログ、展示会を行っていては勝てるはずはありません。何しろ武器は半分しかないわけですから。でも必殺の戦法があります。武器の数は半分でも武器の質を競合企業の倍にすればよいのです。ここで広告宣伝の「質」の課題が生まれます。競合企業ができないような奇抜なアイデアがこのときは物を言います。

おそらく貴方の提案はその「質」に関してのものだと考えますが、それがなかなか上司に納得してもらえないことは私も十分理解できます。上司には予算の範囲内で業務をこなす責任がありますから、予算以上の提案をされても即座に承認できないのです。ここは貴方が辛抱強くその提案の理由と予測できる効果を述べて説得に当たるしかありません。そのときに「宣伝は投資であるから数年後に効果が現れる」ことをしっかり説明することです。それからもう一つ重要なこと。貴方の提案が「貴方の上司の上司から、貴方の上司が評価される」内容であることを念頭においた方がいいでしょう。本来上司の評価などどうでもよく、むしろマーケットや社会の評価を優先すべきですが、この際どうしてもやりたい企画があるのなら仕方がありません。

最後に一つ。えてして広告宣伝部門はコストセンターとみなされ、経費の削減対象になりやすいのも事実です。しかし一方で、さまざまなメディアで獲得した見込み客(引き合い)を展示会で最終的に受注に結びつけるなど、利益に大きく貢献しています。さらにブランディングの観点から見れば、510年にわたる長期の広告宣伝活動は、見えない資産であるブランドの形成に役立っています。このことから、広告宣伝部門はプロフィットセンターであることを粘り強く上司や経理部門に訴えることが何よりも大切なことです。

そうすれば時間はかかるかも知れませんが徐々に貴方の提案が受け入れられ、御社の業績に寄与してくるでしょう。頑張ってください。

インターナルマーケティングについてのご相談

BtoBコミュニケーション Q&Aシリーズ⑦
 

《質問》

現在トップダウンでインターナルマーケティングに取り組むよう指示が来ました。どうやら弊社の社長がどこかの講演会で感激したらしく、我が社にもそのまま導入したいことがその理由のようです。プロジェクトには外部のコンサルタントが主導するように聞いていますが、正直なところインターナルマーケティングがどのようなもので、どんな効果があるのかよく分かりません。我が社ではお恥ずかしいですが巷で評判になっている新しい考えや仕組みづくり(特にカタカナ用語が多いです)に即座に反応して社内に大号令が発せられるのですが、未だにそれといった効果があるようには思えません。このインターナルマーケティングがどのようなものかご教示いただくようお願いします。(建材メーカー人事部)

 

《回答》

御社の事情はよく理解できます。最近マーケティングやブランディング分野に於いても新しい仕組みがどんどん提示され、それをいち早く導入しなければ、という焦燥感に惑わされている企業が少なくありません。

まず結論を申し上げますと、インターナルマーケティングはとりわけBtoBビジネスを展開する上で予想以上の効果を生むことが可能です。しかしそれにはプロジェクトの完全性が要求されますし、中途半端な活動ではかえって企業効率の低下をもたらしますので注意が必要です。

インターナルマーケティングに取り組む上での課題や取り組み体制についてお話しする前に、まずインターナルマーケティングそのものについて説明しておきます。

インターナルマーケティングはその言葉通り、社内の各部署を顧客と見なして接するコミュニケーション活動の一環として捉えられます。その結果がマーケティングに寄与すると考えて良いかと思います。

 たとえば貴方は人事部に所属されていますが、その隣にはおそらく総務部や企画室などがあると思います。それらの部署を社内の同僚や一員としてみるのでなく、顧客として接するのです。ここでは社内の仲間同士によるいいかげんなコミュニケーションや仕事は許されず、顧客に対するそれと同様に真剣勝負が要求されます。このように書くとなんだか堅苦しくてむしろ社内の人間関係そのものがぎくしゃくするように思えますが、そんなに難しく考える必要はありません。

拙著「ASICAれ!」に詳しく述べておりますが、顧客に対して最も重要な接し方は「いかに顧客に喜んでいただけるか」というホスピタリティが原点になります。この考えをそのまま社内に持ち込むわけです。貴方の隣の部署がどのようにすれば喜んでもらえるのか、それを考えながら通常業務を行っていくことが前提になります。もっと簡単に言えば、隣の部署が仕事をしやすいように、あるいは成果を上げやすいように関連情報や資料を提供したり、場合によれば作業の手助けをすることになります。

重要なのは単なる活動ではなくあくまでも企業の活性化と業績によい結果をもたらすことですので、「相手部署の成果が上がる」ことを目的にサポートしていくわけです。「自部署ではなく他部署の成果を上げる」ことがキーポイントになります。

このように自分のまわりの部署にいかに喜んでもらえるかを念頭において仕事を進めることで、お互いのコミュニケーション効率は格段に向上しますし、なんと言っても社内に活気が出てきます。そして相手に喜んでもらえるように仕事をすれば、今度は相手がこちらを喜ばせるようにさまざまな協力をしてくれるようになってきます。所謂互恵精神が自然に定着してくるようになり、それが社内風土にまで昇華する可能性もあります。

前段でインターナルマーケティング活動には完全性が要求されると言いましたが、それについてお話しします。これは大変重要なことです。

まず企業には多くの部署がありますが、中心には言うまでもなく社長が存在し、その外側には社長室や財務部があります。企業によってその解釈は違うかも知れませんが、一般的にはその後人事部や総務部が位置し、それに続いて開発部や製造部、そして広報部や宣伝部があり最後にもっとも企業の外側に営業部やサービス部が存在すると思われます。

 つまり、社会やマーケット、顧客に最も近いところに位置する部門は営業部やサービス部なのです。この流れ、要するに社会やマーケット、顧客に近い部署から中心に位置する社長までの組織フローをまず明確にすることがインターナルマーケティングを行う出発点になります。

そして重要なポイントは、前述した「喜んでもらう」つまりホスピタリティを提供するのは必ず自部署よりも外側(社会やマーケットに近い)の部門に対して行うことです。たとえば仮に前述のような組織フローであれば、人事部や総務部はその外側にある開発部や製造部、広報部、宣伝部、営業部、サービス部に対してホスピタリティを提供することになります。

 簡単に言えば内側の自部署よりも外側の部門がいかに仕事をやりやすくできるかの手助けをすると言うことです。こうして考えてみると組織の中心(もっとも内側)に存在する社長は、言うまでもなくすべての部門にホスピタリティを提供することになりますが、じつはこれが企業運営で最も重要な要素なのですが、意外とこれを重視している企業はそんなに多くはありません。

このように進めていけば最終的には顧客に最も近い場所にいる営業やサービス部門は全社からホスピタリティを受けることになり、そして営業やサービス部はその外側、つまり社会やマーケット、顧客にホスピタリティを提供する理想的な企業体制が完成するわけです。

このホスピタリティフローをよく見れば経営トップから最終ターゲットである社会や顧客にホスピタリティの「風」を送るという意味で「高気圧型ホスピタリティ」と言えます。しかし一方で現在多くの企業は逆の流れになっていないでしょうか? 社長はともかく財務部が最近は大きな力を持ち、各部署は予算獲得などで財務部に頭を下げて回ったり、顧客はそっちのけで社長や役員の意見に右往左往させられる光景はまさにインターナルマーケティングには無縁のフローなのです。私はこれを上層部に向かってホスピタリティの「風」を送る「低気圧型ホスピタリティ」と言っていますが、こうなれば企業は間違いなく凋落の一途を辿ります。

よく「内向きの社風」だとか「外向きの社風」などといった言葉を耳にしますが、それは上述したホスピタリティフローのことを言っているのです。

高気圧型のインターナルマーケティングは企業を発展させますが、低気圧型のそれは企業活動を硬直化することを充分念頭において取り組まれた方が良いと思います。

最後に、一言。外部コンサルを使って活動をはじめると言うことですが、インターナルマーケティングは社内だけで十分対応できる活動です。

広告効果測定についてのご相談

BtoBコミュニケーション Q&Aシリーズ⑥
 

《質問》

我が社では年々広告宣伝費が削減され、満足できる広告活動ができない状況です。その理由は弊社の経理部が「宣伝部はコストセンターだから極力広告コストを削減することが会社の利益に貢献できるため。さらに広告は効果があるのかどうかも曖昧であり、そのような不確実な業務に多大なコストは割けない」ということです。ここで質問なんですが、経理部を説得するために広告効果の測定をきちんと行い、そのデータをもとに予算折衝に臨みたいと考えており、そのための有効な効果測定手法があればご教示いただきたいと思います。(機械メーカー)

 

《回答》

広告宣伝費の削減は所轄部門にとっては悩ましい課題であり、近年ますますその傾向が強くなっていますね。その要因は何もかも「数字」で把握したがる経理部門の特性にあるようです。

まずご質問の広告効果測定についてですが、現在さまざまな効果測定手法が存在・提唱されています。しかし私はそのいずれもが明確な「広告効果」を測定するものではなく、特定の数値やデータを効果と称してカムフラージュしているに過ぎないと考えています。

たとえば広告のリーチやCPMなどの測定などは簡単にできますが、だからといってそれが効果に直結するものではありません。単にどれだけリーチしたか、あるいはどれだけ安価に到達させたかを見る指標としては理解できますが、それがどうした、と言うのが私の考えです。

広告効果の理解の仕方は比較的簡単です。というより、広告の特性を難しく考えず単純に割り切って役割分担に応じた効果指標を設定すればいいだけのことです。

まずマス媒体。とりわけBtoB企業ではマス広告によって商品が売れることはまずありません。したがってマス広告の効果測定指標は「引き合い件数(カタログ請求/問い合わせ)」と割り切るべきです。これは後に述べる最終の効果指標となる「受注額」の基盤である「見込み客」の獲得数を意味します。

次に広告かどうか微妙なメディアにカタログがありますが、これは広告と言うよりむしろセールスのための補助資材と理解できます。BtoB企業で素晴らしいカタログがあれば受注に結びつく可能性はあります。しかし大部分はカタログを補助資材として使用する営業担当の商談スキルによって受注の可否が問われます。

 したがってカタログの効果指標は「営業担当がどれだけ有効に商談できるか、の全体構成やデザイン/コピー」になってきます。しかしここで問題なのは、各社によって営業スキルも違えば営業スタイルも異なります。それぞれの営業風土に合致したカタログづくりがじつは最も重要なのですが、残念ながらどの企業も同じように製品説明に終始しているのが現状です。

WEBサイトの効果もマス広告と同様に「引き合い件数」が効果指標になります。オンラインショップサイトを持つ企業があるかも知れませんが、オンラインサイトは営業の場そのものであり、広告とは理解できませんので効果指標は単純に営業成績(受注額)となります。

そして展示会はもっとも効果が明確になりやすいメディアと言えます。展示会での効果指標はズバリ「受注額(商談額)」です。とかく展示会では自社ブースや展示会全体の来場者数を効果指標にしがちですが、これは明らかに間違っています。

そして重要なのは展示会での効果を上げるにはどうすればよいか。上述したマス広告やWEBサイトでの引き合い、つまり見込み客をどれだけ展示会に呼び込めるかにかかってきます。

簡単に言えば、マスメディアやWEBで得られた見込み客(潜在顧客)を「顧客」に転換する、言いかえれば見込み客の「刈り取り場」がじつは展示会なのです。したがって、展示会でいくら来場者が溢れかえって一見繁盛しているように見えても、彼らが見込み客でなければ何の意味もありません。

一昔前までは展示会は広報の場としても捉えられていましたので、来場者が多ければ社名や商品の露出機会が増えたことによるPR効果があったとされていましたが、結局刈り取り場の認識がなければ受注には結びつかず、展示会には人は来るが売上げにはあまり寄与しない、といった短絡的な理解に結びついてしまいます。

ところが展示会での効果指標が受注額となればまた厄介な事柄が生じてきます。BtoCならともかくBtoBの場合は、引き合いから受注まで1年以上かかるケースが少なくありません。そのために展示会事業で重要なのは、展示会での商談結果とその後のフォローを追跡できる「引き合いトラッキングシステム」の構築が重要なポイントになります。これを行わないと、結局当該商品の受注の根拠が不明確になり、展示会効果が明確に把握できないことになってしまいます。

こうやって考えてみるとすべての広告効果指標は「受注額」になります。マス広告はその前衛の役割を果たしており、展示会が最終ゴールと言えるでしょう。

ここで広告効果指標を「受注額」とすると、大きな問題が立ちはだかります。

前述のカタログの部分でお話しした営業担当の商談スキルが受注に大きく影響するからです。このスキルは数値として明確にできない「変数」ですから、効果測定の方程式には組み込むことはできません。私は広告効果測定をあまり重視しない理由がここにあります。乱暴な言い方かも知れませんが、商談スキルの低い営業担当を抱えている企業は、どんなに優れた広告を行っても最終目標である受注確保には繋がらず、結局その結果が広告を悪者扱いにしているのが正直なところです。

さてご質問の前段にある宣伝部はコストセンターという考え方は間違っています。経理部門は単純に宣伝費というコストを管理する部門だからそのように理解しているのでしょうが、広告はたとえばブランド広告や展示会での説明員の応対など、ブランドイメージの形成に大きな役割を果たしています。今やブランドはエクイティ(資産)と理解されています。しかしブランド価値やレピュテーションは数字には表れてきませんから、宣伝業務のコストばかりに目が行ってしまいそのように捉えられるのでしょう。

宣伝部はコストセンターではなくプロフィットセンターであることを再認識すべきだと思いますし、予算折衝時にもこのあたりをもっと協力に説得することが不可欠です。

ご質問の回答になっているかどうか心許ないですが、要するに各メディアの特性から効果指標がそれぞれ異なることと、展示会での効果がじつはマスメディアの広告効果に依存していることをきちんと整理してデータ化すべきだと考えます。そしてくどいようですが、広告効果の最終目標は数字では把握できない商談スキルに依存いていることが、広告効果測定をいまいち信用できない要因になっていることをもっと経理部門にアピールすべきだと考えています。

効果のある販促物制作について

BtoBコミュニケーション Q&Aシリーズ⑤
 

《質問》

中小規模オフィス向けIP機器の販売、サポートを担当しています。今まで自社で新規顧客開拓用にパンフレット等を製作してきましたが、どうも効果があるように感じません。今個人的にコピーの勉強を始めたばかりで、早速自社製品にもコピー技術を取り入れてパンフレットやウェブサイトリニューアルを考えています。効果的なBtoB広告コピーのポイントについてアドバイス等いただけましたら幸いです。』(IT企業)

 

《回答》

 まず御社自身で広告物のデザインやコピーライティングをされていることに敬服します。やはり自社の製品やサービスをもっとも理解し、なおかつ愛情を持って取り組めるのはメーカーやベンダーでしかありませんから。

さてパンフレットの効果についてですが、おそらくどんなにがんばってパンフレットを制作してもなかなか受注に結びつかない、ということだと思います。その理由はただひとつ、パンフレットが「製品説明書」になっているからです。

 パンフレットやカタログは広告などのマスメディアと異なり、営業活動でのツールとして用いられます。とりわけBtoB分野ではその傾向は強力です。つまり営業担当と顧客との間に入り、フェース・ツー・フェースで行われる商談活動をいかにサポートできるか、がパンフレットの大きな役割になります。

 パンフレットが製品説明書の機能しか持たない場合、商談の質は主に営業担当の商談スキル(プレゼンスキル)に依存します。ここではパンフレットは商談の一助にはなっても積極的に顧客を説得できる機能はほとんどありません。したがって仮に商談が成立しなかった場合、その責任はパンフレットではなく営業担当にあるということです。営業担当の質によって商談が左右されるならパンフレットの存在価値がないのでは、と思われるかも知れませんが、そうではありません。いくら営業教育を熱心に行ってもすべての営業が優秀だとは限りません。中には入社間もない見習いのような担当者が一生懸命に商談することもあるでしょう。

 そこで威力を発揮するのが「優秀な営業担当の代替としてのパンフレット」なのです。パンフレットを単なる製品説明書ではなく、優れた営業スキルで構成されたメディアとして位置づけるのです。極端に言いますと、営業担当が側にいなくても顧客はそのパンフレットを読むだけで、あたかも営業に説得されているような迫力を感じることができる機能を持たせるということです。

 一方商談の場は様々なタイプの顧客を相手に、それに見合った語り口調でプレゼンする能力が求められます。あまり技術に詳しくない担当窓口もいれば、口うるさい決裁者も相手にしなければなりません。本来なら顧客のレベルに応じて数種類のパンフレットを準備しておくのが好ましいのですが、コストの関係上そうもいかないでしょう。仮に一種類のパンフレットで対応するなら、製品やサービスについてのわかりやすい導入から始まって、その機能や仕様などハード面の説明、そしてもっとも重要なのが当該製品の導入によって顧客企業のどんなメリットがあるか、を数字を使って述べることです。

 BtoB分野では最終的に顧客企業にどれだけ(金額)の効果を提供できるか、が勝負の分かれ道になります。したがってパンフレットでここの部分を明確に提示しなければ説得力はほとんどありません。

 BtoB広告(パンフレット)でのコピーライティングで重要なのは、極力修飾語や曖昧な表現を排し、具体的な数値を基に述べることです。私がカタログセミナーなどでお話しをするときによく使う例なのですが、「極めて高速の電車で遠距離の街に行くと、最短の時間で到着できる」というところを「時速300kmの電車で600km離れた大阪に行くと、2時間で到着できる」と言い替えることです。とりあえずコピーライティングした後、無駄な言葉は削り数字に置き換えられるものはすべて置き換える、というプロセスを踏めば説得力のあるコピーができるはずです。

 冒頭にパンフレットは優秀な営業担当の代替メディアといいました。これをぜひ実践していただきたいと思います。その手法は御社でもっとも優秀な営業担当に2時間程度付き合ってもらいます。

 まず貴方が顧客側になり営業担当に「こんな商品を我が社に導入してどんな効果があるの?」など質問するわけですが、顧客企業の状況がよくわからなければ質問内容にも四苦八苦するかも知れません。また営業担当にしても貴方が同じ社の社員であるという心の緩みも出てくるかも知れません。もしこのような模擬商談が困難であれば、もっとも難解な顧客での商談にアシスタントという名目で同席することです。

 そして営業担当が商談する内容をすべて録音します。このとき重要なのは営業担当の素振りです。話のどの部分で大げさなジェスチャーをしたかとか、真剣な目つきであったかなどをメモしておきます。そして社に返ってから録音した内容をすべて書きおこし、前述のように無駄な言葉を取り除けば立派なコピーが出来上がります。 
 対象は優秀な営業ですので起承転結も明確でしょうし説得力も十分。パンフレットデザインで生きてくるのが席上でメモした営業担当の振る舞いです。大げさなジェスチャーや声が一段と大きくなった場面は重要なところですから、この部分に関連する写真や図表をダイナミックにあしらうのです。こうすれば営業担当の替わりができる説得力のあるパンフレットを作ることができます。

 しかもこのパンフレットは御社で最高の営業スキルが入っているわけですから、未熟な営業担当にとってもそのパンフレットを基に商談することによって、自然に営業スキルを学ぶこともでき、全社的な営業のレベルアップにも寄与できます。

 ここで注意するところがひとつあります。大変失礼ですが、もし御社の営業力が貧弱な場合、つまり優秀な営業担当が見当たらない場合どうすればいいのか、ということです。その場合は開発担当などの技術屋にお願いするのがいいでしょう。開発者は製品への思い入れが強く営業担当とはまた違った内容になるかも知れません。開発担当が顧客企業に直接出向く機会がないのであれば、展示会などに開発者を引っ張り出して来場者にぶつけてみるのもおもしろい手法です。

 いずれにしても単なる製品説明書は現在ではWEBで代替できますし、ドラマチックな商談の場にはやはりドラマチックなパンフレットが欲しいところです。

 なお、WEBサイトでもこの手法でコンテンツを作ることで、滞留時間を稼ぐことが可能になりひいてはパンフレットのPDFよりもはるかに説得力が増してくると考えます。

新聞広告の将来性について

BtoBコミュニケーション Q&Aシリーズ④
 

《質問》

我が社では昨年来新聞の発行部数が激減している中で、高額な新聞広告をやめてインターネット広告に切り替えるべきだという意見が多くなっています。インターネット広告では動画も利用でき説得力は新聞広告よりもはるかに高い、というのが大きな理由ですが、ほんとうに新聞広告はもうだめなんでしょうか。個人的には新聞広告にもまだまだ価値はあると思うのですが』(食品メーカー)

 

《回答》

 ご質問の内容は「今のようなネット時代に新聞広告の価値があるのかどうか」と言うことだと思います。それ以前の問題として、「ネット時代における新聞メディアの価値」を考えなければなりません。ここ数年の各メディアのシェアに関する調査を見ると、明らかに新聞はウェブサイトやインターネット広告に凌駕され、大変肩身の狭い立ち位置にいると言わざるを得ません。しかしこの結果が本当に信用できるのでしょうか。これらの調査はあくまでも各広告主の媒体別出稿量の結果として表れているだけであって、だからといって各メディアの「価値」を決定しているのもではありません。

 メディアはコミュニケーションにおける媒体であり、その価値はコミュニケーションの達成率によって決定されます。現在はインターネット上には膨大な情報が構築され、それを利用した(その根拠となる)ウェブサイトやインターネット広告は、言ってみれば情報量が大きいがために無意識にコミュニケーション価値があるように錯覚しているのではないか、と考えることもできます。

 ここで筆者の貴重?な体験をお話ししてみたいと思います。

 じつは筆者は2年前から新聞は購読していません。もうインターネット上には各新聞社のサイトが充実し、毎日の情報はここから入手すれば事足りるのではないか、あえて毎月数千円もの費用を払ってまでハードとしての新聞を購読する必要は無いだろう、と思ったからです。まさに、最近の新聞購読量の低下や新聞メディアの価値を縮小させる一般読者と同じようなことを行ってきたわけです。

 それでこの2年間は取りたてて情報収集に関しての問題は感じず、やはり新聞メディアは縮小して行かざるを得ないのかな、という感触を持っていました。それ以上に過去に新聞を購読していた時期に比べても、はるかに膨大な量の情報を頭にたたき込んでいる実感もありました。

 ところが、です。6月中旬、ある新聞がお試し購読と言った名目でポストに投函されていました。2週間ほどでしたがこの無料お試しの新聞を毎日読んでいてある重大なことに気がついたのです。当然この間もいつものようにインターネット上の新聞サイトから情報収集していたのは言うまでもありません。それと同時に「紙」の新聞も併読していたのです。

 2
3日してなんとなく頭の中がきれいに整理されていることに気がついたのです。たとえば昨日の事件や政治情勢などを思い返すとき、まず頭の中には紙の新聞紙面が浮かんできます。そしてその記事がおよそ何ページくらいの左上の方にあったな、という感じでおぼろげながら浮かんできます。そしてもう少し考えを巡らせると、そうそうその記事の中盤にあんなことが書いてあったっけ、などという風に記事の全貌が目に浮かんできます。それ以外にもその記事の右隣には米国によるシェールガスの対日輸出の記事があったな、という風に順々に思いおこされるのです。それからしばらくすると、その日の記事のほぼ半分くらいが明確に頭の中に再定着されることになります。

 ここで重要なことは、○月○日頃の情報という形のワンセットでけじめがついた形で脳に入力されていると言うことです。インターネットサイトの場合にはこのワンセットがなく、ただだらしなくあらゆる情報が脳に蓄積しているだけだ、と。いわば紙の新聞の場合はきちんと一日一日の情報がアーカイブとして整理されているのに対して、インターネットのそれはただ無造作に引き出しに抛り込んであるという状態なのです。そこから特定の情報をリコール(思い出し)するのはできなくもないですが、アーカイブされたデータベースとではリコールの効率が格段に異なります。さらに前述のように、特定の情報をリコールする際、それに関連した情報や全く関係なくてもその隣にあった情報などがあわせて思い起こされます。

 筆者は心理学者でも何でもないですから決定的なことは言えませんが、人間の情報処理にはいわゆる「パターン認識」が重要な役割を演じていると思います。じつは紙の新聞の最大の価値は一日の情報がパターン認識で脳にインプットされると言うことでしょう。情報は多ければ多いほど有利なのは認めますが、リコールされなければ何の価値もありません。そのリコールにパターン認識が有力であり、それを可能にするのが紙の新聞なのです。

 話は横道にそれますが、たとえば旅行の思い出を考えてみましょう。旅サイトなどで旅行先の情報はいくらでも入手できます。しかし現実に旅をした場合に比べて、リコールされる情報の量と濃密さは比較になりません。これはたとえば一泊二日というワンセットの出来事の中にそこで見聞きしたことや体験したことがビジュアルと共にアーカイブされているからだと思われます。

 新聞の価値はじつはここにあるのです。パターン認識が可能であると言うことと、日刊や週刊という発行形式が自然に情報のアーカイブ化を果たしていると言うことです。

 紙面のパターン認識を有効に作用させるために重要なのが「編集」です。どんな見出しをつけるのか、記事構成をどのようにするのかなど編集者の力量が試されます。ネット上のPDF形式の新聞でもこれは可能でしょうが、タブレットなどでいちいち拡大したり画面をずらしたりする行為がそもそもパターン認識を阻害する要因になります。

 したがって紙の新聞のメディアとしての価値は依然として強力であり、むしろネット時代であるからこそパターン認識とアーカイブ化の機能はいずれ再認識されてくるでしょう。

 広告担当の立場として、現在は何でもかんでもインターネットだという声に右往左往されがちだと思いますが、将来を見据えて新聞広告の有効性はむしろ高くなってくることを念頭において広告計画すべきだと考えます。なぜなら、新聞の最大の価値であるパターン認識の中には当然広告も一要素として機能しているからです。

紙の新聞も新聞広告もネット時代が成熟すればするほどその価値見直されてくるはずですし、その前提として各新聞社の編集能力や広告主側の広告コンセプト力を強化すべきでしょうね。

 ちなみに筆者はそれ以来新聞を再購読しています。

広告制作におけるコンペの是非について

BtoBコミュニケーション Q&Aシリーズ③
 

《質問》

広告制作において個別発注がよいかコンペ形式がよいかの意見を聞かせて下さい。最近はどの企業でもコンペが多いと聞きますが、コンペの利点はどこにあるのでしょう。』(電機メーカー)

 

《回答》

 広告制作においてコンペ形式を採用することへの是非の問題だと思いますが、これは非常に難しいところがあります。最近では多くの企業がコンペ形式を採用しています。その根拠は大きく分けて二つあります。

 一番大きな問題は、コンプライアンスでしょう。広告制作に先立ってのオリエンテーションは、コンペ形式ではほとんどの場合コンペ参加企業を一堂に集めて一括開催されます。このことによって広告主から提供される情報の公平性が保たれます。広告主にとって見れば、コンペ参加企業に対して偏りのない公平な情報を提示しているからコンプライアンス上全く問題ない、という安心感があります。さらに一社指名の場合、とかく問題視されるのが広告主側の担当者と広告制作会社との癒着です。何も恥じることがなくても永年にわたって同じ企業と取引を続けていることへのこうした見立ては、ある意味では仕方のないものですし、広告分野に限らず営業や資材分野でも最近各企業とも人材のローテーションが多くなってきている根拠がここにあります。したがって昨今企業のコンプライアンスが声高に叫ばれている現状ではコンペ形式は妥当な手法と言えます。

 もう一つの問題は、じつはこれは広告文化において看過できない重要なものなのですが、広告主側の広告制作スキルの低下、があります。もとより広告制作に当たっての最も重要なプロセスは、はじめの段階のコンセプトメイキングです。このプロセスは広告対象物やサービスについて熟知しており、なおかつ市場やマーケットに新鮮なメッセージで訴求できる能力が要求されます。その能力には文学的、科学的、情緒的、心理学的、経済学的などあらゆる分野の知見が必要となります。その能力を持った広告担当者が、残念ながら広告主側に少なくなってきた、という事情が安易にコンペに走る結果をもたらしています。

 広告制作の最高の醍醐味は、コンセプトメイキングを自ら行い、それをコピーライティングやビジュアルの専門家と一緒になって四苦八苦しながら創り上げる。それが社会やマーケットから好感を持たれたとき、その醍醐味は最高潮に達します。

 この素晴らしい体感をコンペでは広告主ではなく制作会社に委ねてしまうことになります。広告主側の担当者にとっては制作効率の向上という名目が立ちますが、時間や数字では換算できない楽しみを放棄してしまうことへのマイナスの要因についてはあまり議論されません。

 今回いただいたご質問は、回答に非常に苦労するもので建前論に終始すべきか本音で語るべきか迷うところですが、この際私の個人的な本音でお話ししたいと思います。

  私はコンペ形式には反対の立場をとっています。その理由はいくつかありますが、もっとも大きな理由は前述の広告制作の醍醐味が失われることです。これは何も広告主側の担当者に限ったことではなく、制作会社にも言えることです。

 ここでコンペ形式で広告制作を行った際の決定プロセスを見てみましょう。

 まず基本的なオリエンテーションを経てプレゼンが行われます。で、このプレゼンされたいくつかの作品を審査するのは当然広告主側の担当者でありその上司となります。ここで問題なのが、前述のように広告制作の知見を持たない人たちによって審査されることです。その結果制作会社からプレゼンされた作品はどうしてもインサイド・アウトの視点で評価されてしまいます。仮に制作側がアウトサイド・インの視点で創作した奇抜な作品があり、それを採用されたとしてもたまたま目新しい作法だったと言うだけで真のアウトサイド・インの立場に立った結果とは言えないケースが多いと思われます。

 したがってその後の広告展開では全く文脈を無視したバラバラの作品が出てくる危険性があります。さらに大きな問題はコンペ作品の最終決定を役員会に持ち込んだ場合です。広告主側にしてみれば社長をはじめとした役員はそれなりの地位や知見もあり、だからこそ最高の意思決定機関と言われているのですが、これはあくまでもインサイド・アウトに関する事案についてです。こと広告についてはあくまでもアウトサイト・インのスタンスが重要なのですが、それを役員会で最終決定する妥当性があるとは思えません。

 いくら社長であっても役員であっても広告に関しては全くの素人です。だから広告部などの専門部署が存在するわけですが、その素人さんに制作会社が精根尽くした作品を評価してもらう違和感がどうしても私には拭いきれません。

 つまり、広告を見て社長や役員、もっと言えば社員が感動したところで何の意味もないのです。マーケットや社会に感動してもらう広告こそが文化的要素を持つ広告だと言えますし、その意味では役員会ではなく社外の評価を重視すべきだと思っています。

 ではどのような広告が社会やマーケットを感動させるのでしょうか。

 まずは主側の広告担当者と制作スタッフ(会社ではなくあくまで個人として)が自ら感動する広告といえます。極論を言えば広告に合議制は不要。制作担当者が感動すればそれでいいのです。思い起こせばほとんどのヒット商品といわれるものは「個人」の発想が原点になっています。そのために欠かせないのは主側の広告担当者はつねに片足はマーケットや社会に置いておくことです。もっと言えば、半分は社員であり残りの半分は一般の社会人であること。このように自制できなければ、なかなかアウトサイド・インの視点を持つことはできません。

 そして何より大切なのは、コンセプトメイキング以前の問題として広告に限らず夢や将来のビジョンを制作側の担当者と共有できていることです。ここでは広告以外の社会情勢や様々な現象について意見交換する場です。これには最低でも一年、制作側と主側の担当者が自由に語り合う時間が必要になってきます。不思議なものでこの期間を経ると制作側も主側の担当者も社会の一員として同化し、夢を共有することができるものです。主側と制作側が「個」になる瞬間です。まあ、言ってみればいい意味での完全な「癒着」です。この夢を語る時間を経て社会に感動される広告が生まれたとき、広告をやっていてよかった、と実感できるのです。

 こうして言うのは簡単ですが、実際は多くの困難が立ちはだかります。一年間も無駄話をする非効率性を会社がどのように判断するか、など。それを突破できる限られた広告人だけが、広告の醍醐味を味わうことができるのです。

WEBサイトでの映像表現について

BtoBコミュニケーション Q&Aシリーズ②
 

《質問》

最近WEBサイトで映像や動画を利用するケースが多くなってきているように思います。しかし映像は通常のホームページにくらべてコストもかかり、その費用対効果に疑問があります。今後WEB上でどんどん映像が多くなっていくのでしょうか。WEBサイトでの映像表現の効果とその取り組み方についてご教示ください』(建設機械メーカー)

 

《回答》

今後WEBサイトは間違いなく映像主体のメディアに変革していくと思います。極論を言えばWEBサイト自体がテレビ局のような役割を演じるようになってくると考えています。

しかしこの前途洋々の映像がまだまだWEBサイトで本格的に普及していないのには大きな理由があります。最大の理由は、ご指摘のようにWEBでの映像の効果が明確でないことです。さまざまな効果測定手法があるにせよ、問題は効果云々以前にコンテンツの質の問題があまり議論されないことです。

よく耳にするのはビデオや映像は長くても数分程度、WEB上では1分前後でなければ見られない、と言うことです。人間の集中力が維持できるのがせいぜい10分から15分だと言われているのがその根拠になっているようですが、私はこの説にはまったく同意できません。

よく考えればこの理屈には大きな落とし穴があることが分かります。つまり、集中力が10数分しか持たないからそれ以内にしなければならないとか、WEBでは1分以上は見てもらえないなどと言うのは、そもそも見るに値しないコンテンツであることを自ら認めているのです。だから何とか見てもらうために尺(所要時間)を短くすべきだと。

映像メディアに対する捉え方は本来まったく逆に考えるべきです。見たくもない映像を見せるのではなく、どうしても見たくなるコンテンツを作り上げること。そうすれば30分であろうが1時間であろうが見てくれるはずなのです。興味がある映画ではだれもが2時間という長時間でも苦になりません。したがってまず質の高い映像作品をめざすことが重要になります。

一方情報量の面から見ても、映像は静止画とテキストにくらべて格段に優位性があります。単にビット算出してファイルのデータ量が大きいというのではなく、映像には意識的にも無意識的にも知覚させる要素が数多く詰め込まれています。たとえば原稿用紙1枚の文章を読むのにおよそ1分かかりますが、映像とナレーションでその内容を表現すれば長くても30秒足らずで事足ります。複雑な内容であればあるほどこのギャップは大きくなります。つまり文章では読みながら読者はイメージを描く労力が必要ですが、映像ではすでにイメージは提供されナレーションがそれを補強しているからです。こうして考えてみると、難解なBtoB製品でこそ映像の果たす役割は大きいと言えます。

このようにWEBサイトで映像が普及しない理由、そして効果が見られない理由は自ら長時間の映像は見てもらえないと勘違いし、安易な短尺(1分程度)の映像でお茶を濁しているからに他なりません。この安易性に拍車をかけているのが、広告やカタログ編集でのDTPと同様に、PC上で誰でも簡単に映像編集が可能になったことです。さらに機材も従来にくらべると格段に高性能化され価格も安くなりました。そして最近では一眼レフカメラで動画も撮影できてしまいます。

このような安価な機材と簡便な編集ソフトによって誰もが映像制作に取り組むことができ、結果的に質の悪い映像作品を生み出しているとも言えます。

では質の高い映像とはどのようなものでしょうか。ここでPV(プロモーションビデオ)の話しをしてみたいと思います。尺の短い映像の代表格がPVと言われるプロモーション用のビデオですが、そもそもこれは音楽産業での曲のプロモーションとして発展してきました。言うまでもなくこのビデオの視聴者は音楽を聴くのが主目的であり、音楽から想起されるイメージをより増幅するために映像化するものです。つまりイメージの軸がすでに音楽として存在している状況で映像を作り上げるわけですから、かなり抽象的な映像でもイメージとリンクすることが可能になります。

じつはこの短尺のPVを企業PRや製品PRの参考として捉えられている節が多く見受けられます。訳の分からないイメージビデオがその最たるものですが、映像プロダクションなどでも音楽PVを参考にして一見高級そうな映像を作るところがあります。しかし、音楽のそれとは異なりイメージの軸がそもそもありませんから、いくら格好いい映像を作ってもほとんど見る人には理解されないのです。これが映像はイメージ先行で効果が把握できないと言うことに繋がってくるのです。

これを避けるためにはまず綿密なシナリオが不可欠になります。とかく映像は映像プロダクションに任せて撮影から入りがちですが、まずシナリオをきっちりと書き上げることが重要です。その次にシナリオを映像化するための絵コンテを作り、最後に撮影、編集というプロセスを踏むことになります。シナリオの段階で、どのようなカットをどんなアングルで撮影するのか、その時間はどのくらいかなど明確に決めておく必要があります。とりわけBtoB分野では難解な製品や部品が多く出てきますので、その見せ方は充分工夫することが重要です。

もう一つ重要なポイントは最近の映像作品にはスーパーが多用されていることです。ナレーションで話している内容をわざわざスーパーで流したり、ナレーションとは関係のない文言をスーパーインポーズするなどが多く見られます。何とか説得したいという気持ちは分かるのですが、これはまったく逆効果になります。映画の場合は先の音楽と同様にイメージの軸が出来上がりつつある中での字幕なので、読むと言うより見ることである程度理解できます。しかし初めて目にする製品や企業紹介では、イメージの構成を頭でやりながら画面下に出てくるスーパーを読むと言う行為は苦痛にもなりますし、読んでいる間に大事な画面が変わってしまったりすると最悪です。だからシナリオをきっちりと仕込み、スーパーではなくナレーションで理解させ映像でイメージを増幅させることが必要なのです。(ユニバーサルデザインの観点からナレーションをスーパーで流すことはあります)

今後WEBサイトでの映像は間違いなく進化しますが、その前提は単に安易な動画作品ではなくきちんとしたシナリオに基づいて、カメラアングルやズーミングなど効果的な映像作法と練り込まれたナレーションに基づく本格的な作品が不可欠になります。そうすれば情報量の観点からもコミュニケーション効率は格段にアップし、結果的に費用対効果が現れてきます。

展示会での集客について

BtoBコミュニケーション Q&Aシリーズ①
 

《質問》

先般ある展示会に出展したのですが、思ったような集客が得られませんでした。弊社の営業サイドからは展示会の装飾をもっと目立つようにしないからだ、と非難されています。確かにコストをかけて目立つ装飾にすればそれなりに集客は見込めると思うのですが、コストパフォーマンスの観点で疑問があります。コストをかけずに集客する方法があればご教示いただきたいのですが。(計器メーカー)


《回答》

まず御社の営業サイドが要望している「装飾をもっとハデにして集客する」考え方は明らかに間違っています。バブル時期は当たり前のように派手な装飾やコンパニオンを使ったイベントが展示ブースで行われ、それなりの集客がありました。しかしそうして得られた来場者はどのような人たちでしょう? 

とりわけコンパニオンが行うイベントは現在でも散見でき、そこでは多くの来場者に溢れています。でもその来場者が御社の真の顧客になる可能性は極めて低いと思います。コンパニオン見たさや何か派手な催しをやっているから自然に人が集まっているだけで、イベントが終われば人は去っていきます。こんな手法で集客しても何の意味もありません。

展示会の効果測定手法には二通りあります。ひとつは来場者数です。それはいわば展示会をメディアとしてみた場合の社名認知にあたるものです。もう一つはズバリ受注件数(額)です。本来の展示会効果はこの受注件数が重要ですが、展示会を広報メディアの側面から見ることも否定できませんから、展示会効果測定はこの二つの指標のかけ算になります。

もう少し詳しくお話ししますと来場者効果は単位コストあたりの来場者数で計算できます。一方受注効果は来場者一人当たりの受注額で得られます。先の算式では来場者は分母になりコストが分子になります。後の算式では来場者が分母になり受注額が分子になります。これらを掛け合わせると分母と分子にある来場者は消去され、結果的に分母にコスト、分子に受注額という単純な算式になります。言うなればこの算式は単一コストあたりの受注額ということができ、これはまさに通常営業の営業効率そのものと言えるわけです。

このことから展示会は広報宣伝のメディアではなく、営業の「場」と理解できます。

ブースを目立つようにするとかコンパニオンを使って派手な演出を行うことは、広報メディアとしての価値はあるでしょうが、直接的に展示会効果をもたらすものではありません。「一生懸命装飾に力を入れて演出も凝ったのに、ほとんど引き合いがなかった」という言葉を時折耳にします。これは展示会を広報メディアとして捉え、もう一つの効果をめざす手法が疎かになっていた証拠です。

では真の意味での展示会効果を上げるのはどのようにすればいいでしょうか。前述のように展示会は営業の「場」です。したがって展示会に集客するのは顧客または潜在顧客でなければなりません。ここで威力を発揮するのが広告やWEBサイトから得られた引き合い(見込み客)リストです。広告はともかくWEBサイトから資料請求するのは住所氏名を記入したりと結構手間がかかります。あえてこの手間を費やしてまで資料請求するのはかなり確度の高い潜在顧客と理解できます。このような人たちに対して、展示会という営業の場で実際に商品を見せて稼働させ、それなりのデータや導入効果を理解していただくのが展示会の最も重要な役割なのです。

御社に限らずさまざまな企業は広告やWEBなど他のメディアで広報活動を行っています。そこで得られた個人情報は貴重な潜在顧客と見なす事ができますが、どういう訳か広告などで引き合いがあってもカタログを送ってそれでおしまい、と言うケースが目につきます。BtoB分野の場合、本来広告はカタログ請求を得るために行うものであり、カタログは商品を販売するためのメディアです。しかしBtoCならいざ知らずBtoBではカタログで商品が売れることは極めて希です。そこには必ず営業担当が同席し、カタログを営業ツールとして扱い、営業担当のプレゼンスキルによって受注の成否が決定されます。したがって広告やWEBから引き合いがあったとしてもカタログ送付だけで受注に結びつくことは滅多にありません。

かといって引き合いごとにいちいち営業担当が引き合い先に出かけ営業活動を行うのは大変非効率的です。おそらく一日かけても23件回るのが関の山でしょう。これが効率的に行えるのがじつは展示会なのです。展示会では上述の営業担当によるカタログをツールとしたプレゼンに加えて、実機を前にしてより効果的な販売活動が期待できますし、何よりも一日で少なくとも十数件以上の商談をこなすことが可能になります。

つまりここから導き出されるのは、展示会の集客は「見込み客」に限定することです。おそらくどの企業でも広告などの引き合いで得られた見込み客リストは数千件から数万件あるはずです。このリストから当該展示会に即した(業種・地区など)見込み客を選定し、まず案内状を送付することです。そして重要なのがその選定された見込み客一人一人の担当営業を明確化することです。担当営業は個人名で案内状を送った後、展示会の開催前一週間くらいに電話(メールもいいですが電話の方が効果あり)で再度勧誘することです。こうすれば間違いなく集客は増えます。おそらく今までの手法にくらべて2050%位の集客アップが見込めるはずですし、何よりも重要なのはそのいずれもが顧客になる可能性のある人たちだということです。

それからもう一つ大切なことがあります。見込み客ではなくすでに顧客に登録されている人たちの周辺の部門にも隠れた見込み客が存在すると言うことです。たとえばある企業の工務部の人が顧客だとすれば、その企業の設計部や開発部などの人はまだ見込み客と見なすことができます。顧客リストにその何倍もの見込み客が隠れているのです。したがって従来顧客から可能性のある見込み客を紹介してもらうことも忘れてはなりなせん。

このように展示会の集客で最も重要なのは目立つ装飾やイベントなどではなく、すでに御社が抱えておられる見込み客を展示会という営業の場に引っ張り出すことなのです。かといって貧相な装飾でよいといっているわけではありません。ブースディスプレイはいかに商品を見やすくするか、商談に際しての心地よさを提供するかといういわばホスピタリティーの大きな役割を演じます。展示会における装飾は人集めが目的ではなく、営業の場をどのように上手く演出し受注に貢献できるか、が重要なのです。

詳しくは「BtoB Communications誌」の20106月号に掲載した拙文「ASICAモデルから見た展示会の可能性」をご覧いただければ、と思います

新BtoB社会におけるコミュニケーションとASICAモデル(5/5)

5.違和感がある最近のリクルート広告

 

広告では企業の根底に存在している思想や哲学から導き出されたメッセージを社会に向けて発信すべきだと述べたが、ことリクルート広告に関しては、まったく逆というか本末転倒の取り組みが未だに多く見られる。

リクルート広告はBtoB広告協会では完全なBtoB広告と位置づけている。
学生である人をモノにたとえるのはいささか気が引けるが、要は組織である大学や高校に所属する組織人としての学生を企業という組織が購入する、そのための広告ということだ。

ここで興味深いのはリクルート広告がBtoB購買プロセスとはまったく逆の様式を呈していることだ。つまり、本来なら売り手であるはずの学校が買い手の企業に対して広告するのがもっともなはずだが、現実には買い手側が広告している。

しかもほとんどの企業のそれが、自社がどれだけ素晴らしいかを、ヒステリックなフレーズを並べ立ててアピールしているのである。本来ならそんな美辞麗句はもう信じる人などいないはずだが、なんせ売り手にとってみれば多少いかがわしさが感じられても、自分を企業に買ってもらいたい一心で、とりあえずは信じるふりをするのだろうか。
 

ASICAモデルからリクルート広告を見るならば、まず課題探索。
これは売り手が買い手の抱えている課題を発掘するという意味からすると、学生側が企業について綿密な研究が欠かせない。ネットを利用したり企業訪問したりでバイトどころではない。ここでは企業側の飾り立てたメッセージなど何の役にも立たないはずだ。

そしてASICAのソリューション段階。学生自身がどの企業に対して得意とするソリューションを発揮できるのかを自覚する段階だが、このプロセスである程度自分の特性にあった企業に絞られるはずだ。今のようにとにかく何十社も面接を受けるなどは、言い換えればソリューションを持たない自分を好きなようにしてくれ、といわんばかりだ。
 

企業側にも問題がある。いかに自社の課題解決に役立つ人材を購入するかという観点から見れば、そもそも多くのリクルート広告に見られる自社アピールではなく、課題提供を行うべきだろう。
もっといえば、「我が社ではこのような課題がある。それを解決できない人材はいらない」とまで言い切ることも必要だ。採用試験に際しての面接官の役割も然りだろう。

日本BtoB広告賞の審査でいつも不思議に思うのは、応募される作品のほぼすべてに学生への媚びが見られることだ。なぜそこまして買い手が売り手に低姿勢になるのかよく理解できない。

こうした広告で惑わされ自ら確固たるソリューションの自覚もないまま入社したところで、永遠に自分の特性は発揮できないだろうし、その結果離職率も多くなる。
ただ企業としては色のついていない人材を思い通りに組織人化できるたやすさは、ある。
昨今の企業に突出した個性的な人材が見られないのは、案外このようなリクルートプロセスに問題があるのかも知れない。

前述の企業広告にしろリクルート広告にしろ、まず企業に眠る思想や哲学を社会にメッセージし、課題探索を社会に関与させることを忘れてはならないと思う。これはたとえリクルート市場が売り手優先になったとしても、矜持としなければならない企業文化の砦でもある。

新BtoB社会におけるコミュニケーションとASICAモデル(4/5)

4.ASICAモデルにおける広告の役割

 

ASICAのトリガーが課題探索であることはくどいほど述べた。
であるならば、企業としてもう一つの組織である社会に対してどのような取り組みが必要なのか、広告に絞って考えてみたい。

広告でモノを売る、企業を売る時代は終わったことはすでに何度かの拙稿で述べた。
そしてそれに替わっていわゆる企業広告は社会の隠れた課題を掘り起こし、国民にそれを気づかせる大役が待っている。
情報が過度に氾濫した今、企業の本当の姿を知ろうとすればいくらでも可能になった。
こんな中で声高に「私どもは世界でも優れた技術を持っていて、なんとかかんとか、すばらしい企業なんです」といった自画自賛広告はもう恥ずかしくてやる気にもならないし、たとえ広告したところでそんな美辞麗句は誰も信用しない。そんな時代だ。

つまりいわゆる「アピール広告」はもう過去のものとなりこれからは社会に埋もれた課題発掘のための「メッセージ広告」が主流とならなければならない。
「メッセージ広告」といいながらよく見てみると未だにアピールから抜け切れていない広告が少なくないが、そもそもメッセージというのは「見えない部分をわからせる」ところに真骨頂がある。

つまりアピールはオーディエンスに考える余裕を与えず広告主のいいたいことをそのまま刷り込むことを目的としているのに対して、メッセージはオーディエンスに考える余裕を持たせなければならない。
そしてオーディエンスから発せられた二次メッセージが広告主のメッセージに作用するという双方向性を有する。ここから社会に横たわった課題が徐々に際立ってくるのである。

ではどのようにしてメッセージ広告を企画すればよいか。企業には経営理念のもっと奥底に経営に対しての思想や哲学の核がある。その核を包み込むようにして経営理念が生まれ、経営理念によって企業風土が形作られる。そして企業風土がアピールの源泉(企業の癖)となるのだ。

哲学は昔も今も替わらないが企業理念は時代に応じて変える場合がある。流行に即するためだ。CIが流行った時代には多くの企業で創業の哲学は蔑ろにされ美辞麗句の企業理念がアピールされた。
人間でいえば哲学は心や人格であり企業理念は化粧である。そして多くの人前で振る舞うことがアピールと理解できる。で、そんな厚化粧のまやかしはもう誰も信じない、となった。企業の「心」を真摯に社会に対して示すこと。これがメッセージなのだ。

アピール広告とメッセージ広告

したがってメッセージ広告を企画するに当たって最も重要なのは、いったん世の中の流行や異説は忘れて企業自ら社会に対して独自の意見を述べることだろう。
そのためにはまず自社の心が何なのかを知ることから始めなければならない。十人十色というように企業にもそれぞれの特色がある。その結果メディアを通じたメッセージ広告によって、社会にはさまざまな意見が飛び交うようになる。

今のようにどの企業も似たような広告、という不思議な現象もなくなる。もちろんオーディエンスから同意されないメッセージや敬遠されるメーセージもあるだろうがそんなことは気にする必要はない。決して社会に媚びることなく企業独自の意見を発すること。これがメッセージ広告の根幹になる。
 

広告に携わっておられる読者ならすでによくご存じだと思うが、放送禁止や掲載禁止になったCMや広告が少なからずある。
もとより広告制作クリエイターは日頃から広告倫理規定を熟知しながら対応している。それにもかかわらず、くだらない言葉狩りや過剰な良い子主義のあおりで致し方なく日の目を見なかったのだろうが、中にはどうしてこんなすばらしい広告が、と思う作品もある。

その多くは紛争や戦争をモチーフにしたものである。たとえば子供が銃を抱えた映像があるだけで、子供に銃を持たせることを容認している、だから広告としては許せない、という短絡思考が生まれるらしい。
子供が戦士として否応なく駆り出されている国が現実に存在しているにもかかわらず、だ。

白い犬が喋っても、犬が喋るわけがないそんな広告はおかしい、と目くじらたてるわけでもなく単純に受け入れる一方で、現実にある負の光景を見せることに躊躇する。
最大の環境破壊や社会崩壊の要因である紛争が大きな課題であるならば、それをテーマにした広告は平和ボケした我が国でこそ価値があると思うのだが。
メディア側の広告倫理規定をはじめ、企業側の神経質なくらいの事なかれ主義や臭物蓋体質は、これからの広告のありかたに重要な課題を提示しているように思う。メディアや広告主こそまずASICAの課題探索から始まって、将来の広告を見直さなければならないのかも知れない。

 

新BtoB社会におけるコミュニケーションとASICAモデル(3/5)

3.閑話休題。フェイスブックの隠れた潜在力(2/2)。

 

そこで二つ目の機能。文字入力など面倒なことは一切する必要なし。
独居老人問題の最大の課題は、今現在の健康状態や精神状態がどうなのか、である。それを別の手法で満たせばよいのであり、そのための機能開発が重要になる。

たとえば、トイレのドアを開けたら自動的にフェイスブック上にマーキングされるとか、玄関のドアを開けたら「外出」欄にマーキングされるなどいくらでも方法はある。
したがってフェイスブックのスタイルシートは主に二種類必要となる。従来のタイムラインに加えて「行動監視チャート」が新たに加わるのだ。


今までも似たような仕組みは確かにあった。ポットの電源を入れるだかお湯の量が減るだかしたらあらかじめ設定した人のところに連絡が行って、安否が確認できるという類がそれだが、あくまでも連絡先は身内や親戚に限られる。
身内に面倒を見てもらってはいるがあまりにも狭い範囲での監視体制では少々心許ない。重要なのは地域社会で面倒を見たように、いつも誰かが看てくれているという安心感だ。

それがフェイスブックでは可能になるかも知れないのだ。ただし前述のドアと連動した安否シグナルの送信と表示など、まったく新しい技術やアプリの開発は必要となるが、それもまた新たなビジネスチャンスと受け止めることもできるだろう。

そこでここまで書くとまた否定的な意見も推察できる。個人を「監視」とはどういうことだ。これは国民監視、さらには監視社会につながるのでは、とか、個人情報がどうがこうだでプライバシーの問題など。しかし今現在の重要課題を解決するのに、しかも人命に関わるような大きな課題解決のためには法律もへったくれもないだろう。法律にあわなければ法を変えればいい。


さらにデジタルデバイドの観点から見れば、今後音声入力や特定のボタンを押すことで安否シグナルが送信できる簡便さが必要になってくる。
専用リモコンの赤ボタンを押せば「ちょっとやばい。助けてくれ!」のシグナルになるとか、青のボタンなら「今日も元気だ。安心してくれ」というふうに。

老人向けFB画面

ディスプレイもパソコンでは敷居が高すぎる。普通のテレビをインターフェイスにした方がいいし、通常番組とフェイスブックの二画面同時表示がもっとも好ましいだろう。
つまりフェイスブック専用のテレビ、ということだ。こうすれば、老人のお友達仲間全体で誰が今どんな状況にあるのかをお互いに把握しあえる。

これはまさに地域社会そのものではないか。また監視の話になるが、もっと言えば行政がこれに荷担して複数のフェイスブックサイトを監視し、適切なアドバイスを記入してもいいし、赤ボタンが押された場合にのみ行政にアラートが出る仕組みにしてもいい。
フェイスブックを単に新しいメディアとするのでなく、社会インフラの一つとして捉えることだ。
 

で、こんなフェイスブックを立ち上げたところで何のビジネスにもつながらないじゃん、といったお決まりの経済合理主義が頭をもたげてきそうだが、どうしてどうしてここは将来最大の組織である老人社会そのものであるから、考えようによっては効率の良い老人マーケットと考えられる。
したがってスポンサー欄には現在のような訳のわからない広告ではなく、介護やホームヘルパー、出前、老人向けカルチャースクールなどいくらでもスポンサーは見つかる。
 

話はずれるが筆者は1997年に「マーネット」という概念を提唱した。数年前まで筆者のセミナーを受講された方にはそのさわりを紹介していたと思うが、要はリアルなマーケットが将来ネット上に形成される時代が来る、ということだ。
 

老人向けフェイスブックが軌道に乗れば、独居老人の悲劇もある程度回避されるだろうし、意外にも早々とマーネットが現実のものとなるのか知れない。
 

閑話休題と言いながら長々と書き綴ったが、BtoBコミュニケーションは組織対組織コミュニケーションであることから見ると、単にビジネスに直結したテーマだけでなくこのような最大の組織である社会が抱える課題解決も気にとめていきたいという思いからあえて紙幅を割かせていただいた。

新BtoB社会におけるコミュニケーションとASICAモデル(2/5)

3.閑話休題。フェイスブックの隠れた潜在力(1/2)。
 

ここでBtoBマーケティングとはまったくかけ離れるが、社会にとって重要な課題なのであえて提言しておきたい。
 

ASICAモデルのトリガーが「アサイメント(課題探索)」であるとした。
今、社会にとっての最大の課題は何かを考えたとき、どうしても見逃せないのが高齢化社会における課題であろう。とりわけ独居老人問題の悲劇的な報道を目にすることが最近少なくない。それとは裏腹に、むしろ社会における致し方ない暗部として認識され、遅々としてその解決策は進展していない。

数十年前は家族だけでなく地域社会が当たり前のように老人の介護に取り組んでいた。しかし現在はもう地域社会などあってないようなもの。いわば独居老人問題は地域社会の崩壊を意味すると理解できる。
この重大な課題を抛っておくわけにはいかないが、かといって以前のように地域で面倒を見るというのもここまで人と人のつながりが希薄になった今、もはや現実的ではない。ここでフェイスブック登場。

すでに今までBtoCと思われていた社会でも組織化が進みつつあると記した。
フリーターや若年層の独特な組織形態はともかく、現在もっとも大きな組織は定年を迎えた団塊の世代である。
企業という組織から離脱した後も無意識のうちに団塊世代は共通した価値観を持つ組織の一員として君臨する。マーケティングの一面から見れば、購買余力の点からも魅力ある組織ではあり、今後シルバー世代に対するマーケティングアプローチが盛んになるだろうが、一方で前述の独居老人予備軍でもある。

とかく金儲けに直結しない施策は後回しにされがちであるが、社会の大きな課題がここにあるとすれば、その解決に向けた対策は見過ごせないところだ。

 独居老人や介護老人のケアを以前は地域全体で行うことがありふれた日常であった。その地域社会の概念が希薄になりこれらの問題が白日の下にさらされてきたわけだが、それならばもう一度地域社会を復活させては、という思いが生まれてくる。

リアルな世界での地域社会復活が現実的でないとするなら、いっそのことフェイスブックでそれを構築すればいい。

今まさしくフェイスブックではお友達社会という新たな組織があちらこちらに出現している。これをそのまま老人社会に置き換えればすむ話だ。

つまり、気心の知れた老人同士のコミュニケーションの場としてフェイスブックは有効性を持つ。この場合、フェイスブック上では二つの機能が考えられる。
一つは現在主流となっているタイムラインに対応したコミュニケーションの場である。いわばこれは老人ホームの談話室的な機能だろう。「今起きた」とか「元気です」とか「どこどこへ行ってきました」などを自由に書き込めばそれだけで対象の状況が把握できるし、老人同士のつながりも生まれてくるだろう。このつながりが独居老人の悲劇を回避させる有効な機能を持つ。

しかしここまで読まれた読者の中には、多少なりとも違和感をもたれている方が少なくないと思う。キーボードもろくに扱えない老人にそんなことは無理だろうとか、外に出るのも億劫な人がわざわざパソコンに向かって四六時中文字入力するのかいな、など。
いわゆるデジタルデバイドの問題がここで大きく立ちはだかることになるのだが、それはそれで新たな商品開発やサービスのきっかけになることも忘れてはならない。

 


新BtoB社会におけるコミュニケーションとASICAモデル(1/5)

1.CGMが促進する社会の組織化
 

 ツイッターやフェイスブックが花盛りだが、このようないわゆる個人が自由に情報発信するCGMが社会における新たな組織化に強力に作用している。

個人ブログも含めておそらく読者の皆さんも某かのサイトを定期的に閲覧、書き込みをされているだろう。そして人それぞれが特定のサイトをブックマークしている。
あくまでも仮説であるが、仮に「A」「B」「C」のブログやツイッターに関与している人と「D」「E」「F」のそれに関与している人とでは微妙に価値観や生活観が異なっていると思われる。
人は自分に似たようなパラダイムを持つ人や意見に無意識のうちに吸引される。そして知らず知らず仮想の組織化がなされる。つまりCGMが社会における新たな組織化を促していると言うことだ。しかも関与しているそれぞれの人は互いに相手の素性を知らないままである。
ブログなど実名で公開されておればある程度ブログ主の素性はわかるが、それに参加する閲覧者同士は全くの赤の他人であるにもかかわらず、妙な連帯感がわいてくる。
 

CGMによる組織化には二通りある。一つは匿名であるツイッターや実名匿名さまざまなブログに群がる形態。もう一つは実名やプロフィールをさらしてそれこそお友達として承認された人だけが参加できるフェイスブックだ。
我が国ではまだフェイスブックはツイッターに比べて人口比で見る利用者は半分程度と言われているが、おそらく近いうちにその数字は拮抗してくるだろう。ツイッターやブログによる組織化が無意識のパラダイム共有であるのに対して、フェイスブックは能動的で堅固な組織化が可能になると思われる。
いずれにしても、ネット社会における仮想組織(フェイスブックは現組織ともいえるが)は今後ますます助長されていくだろうし、マーケティングの側面から見てもこの新たな組織化は重要な課題をもたらすはずである。

 

2.フェイスブックの可能性

 

実名や所属、趣味など個人のプロフィールを明確にした上で組織を形成するフェイスブックは、まだ未確認ではあるがBtoBマーケティングに大きな効果をもたらすと考えられる。
現状を見てみるとまだまだツイッターとの差違が明確ではないが、字数制限もなく実名であるが故に個人のメッセージを強力に発信できるメディアは、考えようによってはBtoB企業での顧客訪問や顧客を巻き込んだコラボレーションの可能性すら見えてくる。

筆者はASICAモデルの最終段階である「購買」でのメディア展開で、顧客の囲い込みにプライベートサイトの構築やビジネスSNSの有用性を説いたが、もしかするとフェイスブックでこれらをひとまとめに対応できるかも知れない。
たとえばある営業担当が自分の抱える顧客をお友達として承認しフェイスブック上で通常営業を行うことや新製品発表が可能になる。とりわけ新製品に関してはその感想やアプリケーションなど逐一複数の顧客とやりとりすることも可能だ。

ここで興味深いのは、ある顧客から提示された課題が別の顧客によって解決されたり、また新たな課題提供のきっかけになる見込みが考えられることだ。これが進化すれば顧客とのコラボによる新製品企画のトリガーになるかも知れない。
つまりASICAモデルの課題探索段階はもとより、その後の検証や同意段階もある程度は有効性が生まれてくると思われる。しかし、営業担当によるあまりにも辛辣な売りの姿勢はかえって顧客に辟易されるだろうし、顧客側もどこまで本音を言っていいものやらまだしばらくは助走期間が必要だろう。フェイスブックという新たなBtoB営業ツールを使いこなすためのリテラシーが、ベンダー側でも顧客側でも求められるのだ。フェイスブック自体もまだまだいわゆるBtoC社会でのコミュニティメディアとして位置づけられているが、将来、BtoBビジネスに特化した仕組みやアプリが開発されれば大化けする可能性のあるメディアと考える。
 

さらに同じような観点で、インターナルコミュニケーションのツールとしても見逃せない。部署ごとにアカウントを設定して当該部署の所属員をお友達とすればいい。こうすれば部員の行動把握はもちろん場合によっては日報のアーカイブとすることも可能だろう。もう一歩進んで勤怠管理アプリなどがあれば、もうフェイスブックひとつで部員の管理は万全になるかも知れないし、タイムラインでのコミュニケーションを通じて、部内におけるASICAモデルの課題探索からソリューション提案、検証、同意までがカバーできる可能性はある。

新BtoB社会における「検証」「承認」「行動」プロセス

9.検証はネットや友人の意見

「検証(inspection)」段階では展示会とネットの重要性が見逃せない。AIDMAでのDesire(欲求)に変わって、理性的に購買の根拠を判定する重要な段階であるが、BtoBではまずここでも展示会の有効性は変わらない。何しろ実機を前にしてFace to Face で検証をサポートでき、極めて高い説得力を与えることが可能だからだ。さらにWEBサイトの活用も不可欠になる。単に製品情報を掲載するだけでなく、他社製品と比較しての優位性や独自性などを詳細に述べなければならない。つまりBtoBであれBtoCであれ所謂「情報収集」が最大の力を発揮するのがこのプロセスであり、企業はこれに充分答えることが大切である。とりわけBtoCではこの段階は、友人を初めとした組織構成員の意見が重視される傾向がある。解りやすく言えば家族という組織であれば、子供や母親の意見などがそれにあたる。したがって前述のように顧客がどんな組織に属しているかを把握しておくのはこの段階でも不可欠な要因となる。

10.承認は友人からの同意---流行は社会からの同意


「承認(consent)」段階は、BtoBでは非常に解りやすい。企業には多くの承認者が存在し、それぞれに対してあらゆるメディアを駆使して当該製品の優位性を訴えなければならないが、あまりこの段階に注力してプロモーションをかけている企業は多くない。たとえば管理職(承認者)向けのドキュメントや窓口担当者が承認会議などでプレゼンしやすいようなパワーポイントファイルをあらかじめ手渡しておくと言った心遣いはここで重要となる。これもホスピタリティの一環である。BtoC分野ではConsentを同意と訳した方が解りやすい。つまり購買者が属している組織からの同意が最終購買に大きな影響を与えると言うことである。所謂大ヒット商品とか流行と言われるものは、言わば最大の組織である社会からの同意、と考えられる。 したがってBtoCでは個の欲求を満たすのではなく、個が属しているであろう組織の同意が得やすいコンセプトづくりが必要になる。そのためにもあらかじめ組織の把握と課題解析は欠かせない。 なお、最近話題になっている「レピュテーション」は評判や評価と定義されているが、むしろこれは顧客や社会からの「継続的な承認」だと言えるだろう。

11.Actionが次のスタート


最終段階の「行動(Action)」が次のビジネスに繋がることは言うまでもないが、この段階を各企業とももっと有機的に活用すべきである。顧客名簿の整備などといった静的なものではなく、いったん掴んだ顧客を離さない仕組みが望まれる。BtoBで今後大きな注目を集めるのがビジネスSNSだと考える。セキュリティの課題などがあるにせよ、顧客を巻き込んで最終的に自社のSFA(セールス・フォース・オートメーション)とも連携できるようなSNSが構築できれば、鬼に金棒であろう。ここでASICAのほとんどが達成できるし、なによりも検索ロボットにヒットしないから競合企業にその実態を探られることもない。競合企業から見れば、こんなに恐ろしいメディアは無いとも言えるだろう。 BtoCでは使用者の意見や感想が別の個の購買動機に繋がりやすいが、価格COMを初めとしたユーザー参加型のWEBサイトをどのようにコントロールできるか、がこの段階での重要なタスクになる。

12.おわりに

ASICAモデルは購買にいたる「課題」「解決」「検証」「承認」「行動」の各プロセスそれぞれにおいて、適切なプロモーションが必要であることを示唆している。所謂「クロスメディア」はメディアオリエンテッドな考え方であるが、むしろASICAの各プロセスを隙間無く埋めるメディア戦略と言う捉え方もできる。 最後に、従来のBtoC分野がBtoBになり変わりつつあるとの仮説を元にASICAを論じたが、それほど現在の社会は複雑化している。組織という言い方が正しいかどうかは別にして、我々自身が現在多様なグループにしかも無意識に属している可能性は、今後のマーケティングに重要な課題を提供するはずである。その意味では広告業界でも従来のマーケティング分野や経済学分野だけでなく、社会心理学や認知工学からのアプローチが欠かせない時期に来ていると思われる。場合によれば、過去のマーケティング理論や広告理論が全否定される可能性すらある。また今までここで述べてきたことは、すべて数字に置き換えることのできない観念的な要素ばかりである。しかしもしかして我々は、今まで数字で表現できない要素をあえて避けてきたのではないだろうか。もしくは数字に翻弄されてきたのかも知れない。これからはむしろ数字で把握できない分野にこそ、キラリと光る研究課題があるような気がする。

新組織の課題探索と、ホスピタリティーマーケティング

7.組織の把握と専門性を持った課題探索

このように社会がBtoBに方向転換しつつあるとしたら、我々広告人は何をすればよいのか。BtoB業界では従来から企業間取引の一環として相手企業の特性をある程度把握するスキルは持ち合わせているが、一歩進んで相手企業の風土やトップの性格なども解析する必要性がでてくる。ル・ボンが「個人はその意識的個性を失うと、それを失わせた実験者のあらゆる暗示にしたがって、その性格や習慣にまったく反する行為をも行うような状態におかれることがある」と言っている。ここで言う実験者とは組織のリーダーのことであり、トップが変われば企業風土が大きく変わる可能性は十分にあるからだ。さらに同じ企業であっても、ターゲットとなる窓口担当者が企業内に形成されているどんな組織に属しているかも見極める必要がある。そのほか購買センターや最終決裁者然りである。 また「課題」は「ニーズ」とは異なり、現時点での顧客が抱える課題だけでなく、将来にわたって顧客が対面するであろう課題の予測も含む。そのためには顧客企業と同等以上の専門性が不可欠で、顧客企業のコンサルタンシーという位置づけがこれからのBtoB企業には要求される。 BtoC業界ではまず社会にどのような組織が存在し、その組織にはどんなパラダイムが支配的なのか、を見極めなければならない。従来からよく言われている世代や趣味と言った単純なくくりではなく、隠された組織形成要因を見つけ出すことが重要になってくる。以前は限られた情報によって比較的世論誘導は容易であったことから、組織の把握もそんなに困難ではなかった。しかし現在、無尽蔵に発せられる情報によって、形成される組織もそのパラダイムも極めて複雑化しつつあり、それを理解するのは非常に難しい。そんな中で組織ごとにどのような課題を持っているのかを把握することは、広告と言うよりマーケティング活動のもっとも初歩的な段階であると思われ、今後各企業ともこのための体制を整える必要性に迫られるだろう。

8.ソリューションの源はホスピタリティ

さてASICAの第二段階のプロセスである「解決(solution)」においては、前述の八百屋の御用聞きで取り上げたように、組織の維持に欠かせないポイントとしてホスピタリティがある。簡単に言えば、いかに相手に喜んでもらえるかと言うことである。広告の世界ではとかく企業の独りよがりのメッセージを提供しがちであるが、本来は相手が抱えている(であろう)課題に対して、的確な解決策を提示することが必要であり、その根底にあるのがホスピタリティだと言うことを忘れてはならない。相手を重んずるホスピタリティを徹底すれば、意外とソリューションは簡単に見つかるものであるが、自社ありきのスタンスではなかなかうまくいかないものである。 ソリューションを提供するメディアとしてはWEBサイトが有効だが、なにぶんアクセスさせるための仕掛けが心許ない。なんと言ってもこの場面は展示会しかないだろう。Face to Faceマーケティングが今後注目されると思うが、まさに展示会はソリューション提示の貴重なメディアである。現在不況の影響で展示会は総崩れであるが、これは展示会を広告と同列に情報提供の場として捉えているからであり、課題解決の場としてみればこれから間違いなく発展していくメディアである。展示会では製品を並べるだけでなく、課題解決を前提としたFace to Faceマーケティングの場、あるいはホスピタリティの場として活用すべきである。

仮説を実証するギュスターヴ・ル・ボンの「群衆心理」

5.集団精神と個の消滅

そしてこの仮説は、20世紀初頭に活躍したフランスの社会心理学者であるギュスターヴ・ル・ボンの古典的な著書「群衆心理(櫻井成夫訳)」に多くのヒントを見出せる。 ル・ボンはこの著書の中で次のように述べている。 「心理的群衆の示すもっとも際だった事実は、次のようなことである。すなわち、それを構成する個人の如何を問わず、その生活様式、職業、性格あるいは知力の類似や相違を問わず、単にその個人が群衆になり変わったという事実だけで、その個人に一種の集団精神が与えられるようになる」 このことから、ネットワークで繋がった組織は、それを構成する個人の如何を問わずそれぞれに集団的精神が生まれてくる、と考えられる。 そして、「群衆中の個人が単独の個人とどんなに相違するかは、容易に認められる。……集団的精神の中に入り込めば、人々の知能、したがって彼らの個性は消え失せる。無意識的性質が支配的になるのである。……我々の意識的行為は、無意識の基盤から起こるのである」とも言っている。 つまり、ある集団に属することによって、無意識のうちに本来の個人ではなくまったく別の人としての意識的行為をなす、と言うのである。これは言い替えれば組織自体が特有の意識を持ったとも考えられる。 企業人が彼らの個性は消え失せて、○○会社タイプと言った特定の企業ごとに何となく似たような人の集まりであることを実感する場面は少なくないが、ル・ボンのこの主張を見ればなるほど頷けるし、所謂お役所的と揶揄される人々もこの類だろう。 またグローバルな事業展開を行う場合も、ル・ボンはあるヒントを与えてくれている。「ある種族に属するすべての個人が互いに似通っているのは、とりわけこの種族の精神を構成する無意識的要素による」と言う記述は、グローバルマーケティングでの種族研究の必要性を示唆していると思える。しかしここで厄介なのは、我が国と同じようにメディアの多様化が各国で促進された場合、一義的には種族や国という組織に属しながら、複数の別の組織にも属するということになり、グローバルマーケティングでも種族以外にさらに複雑な組織の存在を念頭に置く必要がある。

6.メディアの進化が仮想集団を形作る


携帯電話など線としてのネットワークを介した繋がりは、組織形成の側面から見ればある意味非常に解りやすいが、線ネットワーク以外の組織形成要因も見逃せない。ル・ボンの論述は、現在のようなネットワークが存在しない時代のフランス革命で起こった群衆の行動を基盤にしているが、これとは逆のケースも考えられる。たとえばまったく見ず知らずの人であったとしても、同じ嗜好や同じ境遇にいる人たち、同じ価値観を持っている人たちが「無意識」に集団を形作っているとも考えられる。線で繋がれたものではなく点として存在し、心理的もしくは無意識的に繋がれたネットワークである。そしてそれに拍車を掛けているのがWEBサイトを筆頭とした多様なメディアの存在である。 こうしてみると現代社会ではいたるところで自然発生的に複雑な組織が形成され、しかも個人は無意識に複数の組織に属している可能性がある。そしてここでは「個」の特性は失われ、組織独特の新たなパラダイムが支配的になっていると思われる。もしこの仮説が正しいとしたら、もはや「個」をターゲットとしたBtoCコミュニケーションはほとんど機能しないと言っても過言ではないだろう。

BtoC社会の崩壊と、心理的BtoB社会の形成

3.米国からもたらされたBtoC社会

ではなぜこの社会システムが崩壊したのか。1950年代半ばからテレビドラマを軸に怒濤のようにあふれ出したアメリカ文化が、組織に埋没していた「個」の概念を目覚めさせた。この頃から自由主義とか個人主義などが幅をきかせだした。そして我が国の社会全体が、雪崩のように個人尊重へと向かっていった。そして集合の最小単位であった家族は、その組織の維持よりもそれを構成する個人の価値観や夢を重視する傾向が強くなり、徐々に組織としての家族は崩壊した。一時期社会現象となった核家族化はその過渡期でもあった。 1960年代に入り様々なメディアが一気に氾濫し始め、「個の欲」をターゲットとしたプロモーションが花盛りとなった。BtoC広告の全盛期である。この状況はバブル崩壊とともに一時後退したかに見えたが、1995年頃に始まったインターネットと携帯電話によって、所謂One to Oneと言う新たなコミュニケーションスタイルの出現を見るにいたってその頂点を形成したかに思えた。しかし実はこの時期からマーケットでは奇妙な現象が現れだした。BtoC広告に対する反応が鈍くなってきたのである。これについて価値観やニーズの多様化とか若年層のメディア離れなど、様々な理由が取りざたされた。そして未だに明確な結論が得られないまま、昨今の不況と相まって現在の広告業界は悲壮感に包まれている。

 4.仮説---無意識の組織形成とBtoC

この不可解な現象に対して、一つの仮説を提示したい。それは我が国の社会は、もうすでに新たなBtoB社会へと進化し始めたのではないか、と言うものである。メディアの強烈な発展やとりわけ若年層の行動様式を見る限り、一見ますます「個」を重視したBtoC社会が進展しつつあるように思えるが、実はここに大きな罠が潜んでいる気がするのである。確かにメディアやネットワークは過去に例を見ないほど発展した。しかしこのことが「個」の希薄化とともに新たな組織を作り出す要因になっているのではないか。言い替えればあまりにも進化したメディアそのものに、何らかの特性を持った「個」同士を結びつける作用が生まれたのでは、と考えるのである。たとえば若年層の携帯メールの使用率を見れば、それぞれの「個」がある種特定のネットワークを築いていることに気付く。1950年代の毎朝顔を合わして挨拶を交わすネットワークではなく、ただ単に文字メールのみで繋がる見えないネットワーク(組織)である。そして頻繁なメールのやりとりが、この組織を維持していくのに欠かせない。これは数十年前に見られた家族を最小単位として近接した単位同士の集合による整然とした組織構成ではなく、組木細工のように社会の中であちこちに入り組んだ複雑な組織形態であり、しかもどちらかと言えば心理的な組織と言えるだろう。

ホスピタリティに裏打ちされたBtoB社会

さてASICAの第二段階である「解決(solution)」の前に、極めて重要なポイントをお話ししたい。

1.我が国はもともとBtoB社会だった

前項でASICAモデルはBtoC分野でも適応が可能だと記したが、BtoBとBtoCの違いについて社会的な側面から見てみたい。BtoBは組織対組織、BtoCは組織対消費者個人と言う区分けがなされているが、そもそもなぜこのような違いが生まれたのであろうか。1950年代以前にまで遡れば、我が国はBtoB社会であったと考えられる。組織の最小単位は家族であり、家族の集合が町内会という組織に、あるいは校区で区切られた地域も言ってみれば一つの組織であった。そして街が形成され、最終的に国が形作られていた。そこでは「個」の価値観よりも家族を底辺にした組織の論理が歴然と存在していた。家柄とか家風・家訓が尊ばれもした。たとえば家族の最大の行事である婚姻は、個人同士ではなく家族対家族のイベントであった。それは組織の継続と維持、さらには持続可能な発展に不可欠な役割を果たしていた。家族の集合である町内や地域にしても、個人同士の付き合いというより家族同士の交わりの方が重視されていた。

2.BtoBビジネスの原点は「ホスピタリティ」

そしてそのコミュニティーに点在する様々な商店がビジネスの起点となっていた。八百屋に代表される商店は、各家庭の細部にわたる情報を握っていた。たとえばご主人の仕事や嗜好とか、子供は何歳くらいだとか、どんな親戚がいるのかなど日常的なコミュニケーションの過程でこれらの情報が自然に把握できていた。そしてこの情報を駆使して、その家庭にふさわしい商品を自ら提案したし、場合によっては献立まで指南することもあった。そう言えば八百屋は野菜料理のレシピを豊富に持っていたし、魚屋は魚料理が上手かった。御用聞きという独特のビジネスモデルでこのような商売が成り立っていたが、ここで言う御用聞きとは自店の商品を売り込むことだけでなく、時として客から依頼されたクリーニングの手配など、商売とはまったく関係ない作業もやってのけた。この根底にあるのがいかにしてお客様に喜んでいただけるか、と言うホスピタリティの精神である。地域社会の中でビジネスを継続して行くには、儲けよりもまず顧客に対するホスピタリティを重視することが必要だと自然に学んだのだろう。またある家庭で何か問題が発生した際には、それこそ隣近所が親身になってその解決に奔走するという今では考えられない風景が見られた。ここでも何とか相手に喜んでもらいたいというホスピタリティが自然な形で提供され、その結果が家族や地域と言った組織の適切な維持をもたらしたと考えられる。 ちなみにこの頃から企業は大きく発展を始めるが、その原動力としてまず従業員に対するホスピタリティが最優先された。年功序列や福利厚生などと言った世界に誇る我が国の企業システムが徐々にでき上がっていった。「会社は誰のものか」などと言った愚問は欠片も見られなかった時代である。 このように数十年前の我が国はれっきとしたBtoB社会であったし、その中でのビジネスの原点は「ホスピタリティ」であった。

欲望社会から課題社会へ(ASICA理論の新たな展開)

すでに紹介したように「課題」「解決」「検証」「承認」「行動」のプロセスをもつASICAモデルは、AIDMAのような消費者の購買心理ではなく、購買動機をモデル化したものである。AIDMAでは言うまでもなく消費者個人の購買にいたる心理を解き明かしているが、現在の社会において、この心理は果たして商品やサービスの購買に際して有効に作用しているのだろうか。確かにAIDMAにおけるAttentionやInterestは広告企画で最も重要視すべき課題かも知れない。しかし現在のようなメディアの発展による情報過密状態で、もはや流通情報量が消費情報量を大きく上回る状況、つまり情報の消化不良を来している現状では、いくらAttentionやInterestを重視してもそれにヒットする確率は極めて少ない。さらに問題なのは、我々はこの情報氾濫の中で、すでにAttentionやInterestと言った心の動きそのものがマヒ状態であるとも言えることである。 1950年代から延々と続いた消費文化は、物財や情報を多く取り込んだ結果として、今度はこれらとともに暮らす新たな課題を生み出した。たとえば、食に対する欲望から飽食の時代へと移り変わり、現在では美味しいものを食べたいという欲望よりもいかに健康を保てる食材を求めるか、と言う課題に。また、ネットワークの普及によって、より多くの人たちとコミュニケーションしたいという欲望から、ひとたび築いた自己のネットワークをいかにして維持していくか、と言う切実な課題が生まれてきた。現代は欲望社会から課題社会に変化し、今、一人一人がそれぞれに何らかの課題を背負いながら暮らしているのだと考えられる。したがって広告やマーケティングにおいて今後重要なポイントは、今までのようないたずらに購買心理を煽り立てるのではなく、これらの課題をいかに効率よく発掘し、それを共有し、新たなソリューションを提示するかと言うことが購買動機に繋がってくると考えるべきである。ASICAモデルの第一段階である「課題(assignment)」はこのような観点から取り上げた。
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河内英司(かわちえいじ)
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京都教育大学教育学部特修美術科卒業。電気機器メーカーにおいて一貫して広報宣伝業務に従事。広報室長・コーポレートコミュニケーション室長を経て、2014年3月退職。  現在、カットス・クリエイティブラボ代表。(一社)日本BtoB広告協会アドバイザー。BtoBコミュニケーション大学校副学長。(独)中小企業基盤整備機構 販路開拓支援チーフアドバイザー
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