1.展示会の原点は「市」にあった

古代、人がまだ貨幣を持たず、物財のみの取引を行う場として生まれたのが「市(いち)」であった。これは物財交換を行うのに適当な場所として、交通の要所や寺院、神社の近辺に自然発生的に生じたものであり、ここで商取引の原型となる行為が行われていた。我が国では西暦210年に大和国(奈良県)で開かれた軽の市や、469年に河内国(大阪府)で開かれた餌香の市がよく知られている。この市の成立要件としては、まず人と物財が集まることにある。あちこちに物を探し歩くのではなく、そこに行けば様々な物があると言うように物財交換のための効率的な「場」として成立した。そこでは物財交換に合わせて情報交換もなされただろう。コミュニケーション手段がほとんどなく、どこに何があるのかさえもわからない情報が枯渇したなかで、この市の存在は商売の場としても情報メディアとしても価値があったと推測できる。そして等価交換が行われていた時代を経て西暦700年頃に貨幣が誕生した後は、物財を持たなくても商取引ができる場として市は劇的に進化していった。市がビジネスの場として市場(いちば)に、さらに現代に繋がる市場(しじょう/マーケット)へとその姿を変えていったのである。物財交換の効率性を求めて人が集まり、物が集まる。このことが現在の展示会のあり方を示唆しているし、展示会が見本市と言われる所以でもある。
展示会の原点

2.仮想市場としての展示会

市がさらに進化し都市が形成されるとますます経済は発展し、こんどは交換する物財そのものを効率的に製造する工業が誕生する。ここで生み出された工業製品は市場(マーケット)で交換され、さらに経済の発展に寄与することになるが、こんどは固定的なマーケットに限界が生じてくる。つまり、市の形成要因となった、「あちこちに売りに行く非効率」の是正である。市がこの是正のために物財を一箇所に集めたのと同様に、工業製品と人を一堂に集める仕組みが考えられた。その結果1756年には世界初の博覧会として「英国産業博覧会」が開催された。産業革命の足がかりとなる出来事だった。続いてナポレオンによってパリ工業博覧会が執り行われ、1851年にはイギリスで世界初の万国博覧会(ロンドン万国博)が開催されることとなる。このように地理的に固定化されたマーケットへのコミュニケーション効率の改善と、よりセグメントされた新たなマーケットを作り上げるために、仮想的なマーケット(市/市場)として博覧会は存在していたのだろう。これが、現在の展示会の原点である。つまり、展示会は仮想マーケットであり、物と人が集まるコミュニティとして成長した市の成り変わりと言える。
仮想マーケットである展示会(コミュニティ)では、ASICAモデルのトリガーであるA(Assignment/課題探求)が行われる。その結果はリアルなマーケットへのフィードバックを通じてさらに新しい技術や製品を誕生させる。そして経済の発展を促し、また新たな課題探求のために仮想マーケットが構築される、と言うようにリアルなマーケットと仮想マーケットがワンループとなってともに経済成長を促していった。博覧会や見本市は単に商取引の場としてだけでなく、課題探求とソリューション提示の場としても存在価値があったのである。
WEBの普及による展示会価値の変化