BtoBコミュニケーション Q&Aシリーズ④
 

《質問》

我が社では昨年来新聞の発行部数が激減している中で、高額な新聞広告をやめてインターネット広告に切り替えるべきだという意見が多くなっています。インターネット広告では動画も利用でき説得力は新聞広告よりもはるかに高い、というのが大きな理由ですが、ほんとうに新聞広告はもうだめなんでしょうか。個人的には新聞広告にもまだまだ価値はあると思うのですが』(食品メーカー)

 

《回答》

 ご質問の内容は「今のようなネット時代に新聞広告の価値があるのかどうか」と言うことだと思います。それ以前の問題として、「ネット時代における新聞メディアの価値」を考えなければなりません。ここ数年の各メディアのシェアに関する調査を見ると、明らかに新聞はウェブサイトやインターネット広告に凌駕され、大変肩身の狭い立ち位置にいると言わざるを得ません。しかしこの結果が本当に信用できるのでしょうか。これらの調査はあくまでも各広告主の媒体別出稿量の結果として表れているだけであって、だからといって各メディアの「価値」を決定しているのもではありません。

 メディアはコミュニケーションにおける媒体であり、その価値はコミュニケーションの達成率によって決定されます。現在はインターネット上には膨大な情報が構築され、それを利用した(その根拠となる)ウェブサイトやインターネット広告は、言ってみれば情報量が大きいがために無意識にコミュニケーション価値があるように錯覚しているのではないか、と考えることもできます。

 ここで筆者の貴重?な体験をお話ししてみたいと思います。

 じつは筆者は2年前から新聞は購読していません。もうインターネット上には各新聞社のサイトが充実し、毎日の情報はここから入手すれば事足りるのではないか、あえて毎月数千円もの費用を払ってまでハードとしての新聞を購読する必要は無いだろう、と思ったからです。まさに、最近の新聞購読量の低下や新聞メディアの価値を縮小させる一般読者と同じようなことを行ってきたわけです。

 それでこの2年間は取りたてて情報収集に関しての問題は感じず、やはり新聞メディアは縮小して行かざるを得ないのかな、という感触を持っていました。それ以上に過去に新聞を購読していた時期に比べても、はるかに膨大な量の情報を頭にたたき込んでいる実感もありました。

 ところが、です。6月中旬、ある新聞がお試し購読と言った名目でポストに投函されていました。2週間ほどでしたがこの無料お試しの新聞を毎日読んでいてある重大なことに気がついたのです。当然この間もいつものようにインターネット上の新聞サイトから情報収集していたのは言うまでもありません。それと同時に「紙」の新聞も併読していたのです。

 2
3日してなんとなく頭の中がきれいに整理されていることに気がついたのです。たとえば昨日の事件や政治情勢などを思い返すとき、まず頭の中には紙の新聞紙面が浮かんできます。そしてその記事がおよそ何ページくらいの左上の方にあったな、という感じでおぼろげながら浮かんできます。そしてもう少し考えを巡らせると、そうそうその記事の中盤にあんなことが書いてあったっけ、などという風に記事の全貌が目に浮かんできます。それ以外にもその記事の右隣には米国によるシェールガスの対日輸出の記事があったな、という風に順々に思いおこされるのです。それからしばらくすると、その日の記事のほぼ半分くらいが明確に頭の中に再定着されることになります。

 ここで重要なことは、○月○日頃の情報という形のワンセットでけじめがついた形で脳に入力されていると言うことです。インターネットサイトの場合にはこのワンセットがなく、ただだらしなくあらゆる情報が脳に蓄積しているだけだ、と。いわば紙の新聞の場合はきちんと一日一日の情報がアーカイブとして整理されているのに対して、インターネットのそれはただ無造作に引き出しに抛り込んであるという状態なのです。そこから特定の情報をリコール(思い出し)するのはできなくもないですが、アーカイブされたデータベースとではリコールの効率が格段に異なります。さらに前述のように、特定の情報をリコールする際、それに関連した情報や全く関係なくてもその隣にあった情報などがあわせて思い起こされます。

 筆者は心理学者でも何でもないですから決定的なことは言えませんが、人間の情報処理にはいわゆる「パターン認識」が重要な役割を演じていると思います。じつは紙の新聞の最大の価値は一日の情報がパターン認識で脳にインプットされると言うことでしょう。情報は多ければ多いほど有利なのは認めますが、リコールされなければ何の価値もありません。そのリコールにパターン認識が有力であり、それを可能にするのが紙の新聞なのです。

 話は横道にそれますが、たとえば旅行の思い出を考えてみましょう。旅サイトなどで旅行先の情報はいくらでも入手できます。しかし現実に旅をした場合に比べて、リコールされる情報の量と濃密さは比較になりません。これはたとえば一泊二日というワンセットの出来事の中にそこで見聞きしたことや体験したことがビジュアルと共にアーカイブされているからだと思われます。

 新聞の価値はじつはここにあるのです。パターン認識が可能であると言うことと、日刊や週刊という発行形式が自然に情報のアーカイブ化を果たしていると言うことです。

 紙面のパターン認識を有効に作用させるために重要なのが「編集」です。どんな見出しをつけるのか、記事構成をどのようにするのかなど編集者の力量が試されます。ネット上のPDF形式の新聞でもこれは可能でしょうが、タブレットなどでいちいち拡大したり画面をずらしたりする行為がそもそもパターン認識を阻害する要因になります。

 したがって紙の新聞のメディアとしての価値は依然として強力であり、むしろネット時代であるからこそパターン認識とアーカイブ化の機能はいずれ再認識されてくるでしょう。

 広告担当の立場として、現在は何でもかんでもインターネットだという声に右往左往されがちだと思いますが、将来を見据えて新聞広告の有効性はむしろ高くなってくることを念頭において広告計画すべきだと考えます。なぜなら、新聞の最大の価値であるパターン認識の中には当然広告も一要素として機能しているからです。

紙の新聞も新聞広告もネット時代が成熟すればするほどその価値見直されてくるはずですし、その前提として各新聞社の編集能力や広告主側の広告コンセプト力を強化すべきでしょうね。

 ちなみに筆者はそれ以来新聞を再購読しています。