9.CSRの前にGSRを!

 

CSR広告で社会に課題を提示し、自社の技術でソリューションをメッセージする。それこそ持続可能な社会の形成のために、将来広告の役割は予想以上に大きくなると思い描きながらも、何かしら喉の奥に小骨が刺さったような屈託を拭いきれない。

企業が社会的責任を果たすためにCSR活動に邁進するのは、前述の違和感がありながらもある程度理解できる。しかし最も大きな組織である国家の社会的責任に目を向ければ、首を傾げざるを得ない。国民への明確な説明責任が未だに果たされていない消費増税や原発問題を持ち出すまでもなく、前政権に見られた当初のマニフェストをことごとく反故にする国家。さらには緊縮財政や社会保障の大きな課題を生じさせる要因となった年金運用の失敗。国民が納めた粒粒辛苦の気が遠くなるほど膨大な額の年金を溶かしてしまった責任は、いったいどうなったというのだ。昨今のCSRブームの裏側に、国に社会的責任を果たす能力がないから企業が肩代わりせよ、とでもいうわけでもあるまい。

国は政府の社会的責任(GSR—-Government Social Responsibility)や政党の社会的責任(PSR—-Party Social Responsibility)こそが今全社会から求められていることに早く気づくべきだろう。

大きな組織に属する小さな組織や個は、大きな組織の価値観や風土に無意識的に支配されてしまうことは拙著「ASICAれ!」で記した。CSRをもっともらしく唱えながら、一方で国民の大多数が認めない政策を此れ見よがしに支持する財界を見れば、何か隠されたうまみでもあるのか、と勘ぐってしまうと同時にやはり冒頭に述べた胡散臭さが蘇ってくる。

またISO26000ガイダンスも、各国の主体性を失った統一によって当然のようにさまざまな問題を露呈し、今や全世界に厄介事を投げつけているEUが主導して策定したとなれば、その取り組みに少々二の足を踏んでしまうのも正直なところだ。あんただけには言われたくない、と。

GSRの果たされていない国家や世界にCSRが根付くはずはない。