8.クリエイティブにおける社会的責任

8-1.わかりやすい広告の落とし穴

CSR広告といいながらどうしても顧客誘引を目的としたくなるのが企業の性ではあるが、美辞麗句で飾り立てた広告にほとんど効果がないことは既に本書でも拙著「ASICAれ!」でも述べた。企業の説明責任のための広告なのだから、なぜその企業が社会に存在しているのか、社会に対してどんな役割を演ずることができるのか、をメッセージしなければならない。

さらにはASICAモデルで何度も紹介したように、最高のメッセージ広告は、今社会に存在する見えない課題を炙りだすことだ。そして自社独自の技術によるソリューションを提示する。この様式がこれからの広告の基本的なスタイルになると確信しているし、これこそがCSR広告ともいえる。

ところで広告のクリエイティブについてであるが、ここ数年徐々に質が低下してきているように感じて仕方がない。何がどうというのではなく、要するに感動しないのだ。メッセージ性が少なく変哲もないアピールだけが目につく。言い換えれば大変わかりやすい広告が増えてきている。だから感動しない。

最近よく耳にすることだが、広告はわかりやすくなければならないという風潮が大勢を占めている。企業の広告担当者が頭を悩まし練りに練った広告を役員会に上程した際、こんな表現ではわかりにくい、もっと平易な表現にしろ、と一喝されたことが一度ならずあるだろう。

今、学生の読解力が一昔前に比べてワンランク低下しているという。つまり現在の大学生は高校3年生並の読解力しかないということか。全てがそうとも思えないが、学生に限らず一般人も社会人もなんとなく心当たりはある。だから広告は誰にでも理解できるように平易な表現が望まれるのだろうが、ちょっと待って欲しい。

先に広告はその時代の文化を表す、といった。もとより文化には優劣はないが、できれば高品質な民度を維持したい、と思うのは広告人の端くれとして当然だろう。低レベルの層を基準に考えるのではなく、ある程度の知識と読解力を持つ層にふさわしい広告表現が文化形成にも国民の意識向上にも不可欠だと思う。

筆者の記憶に残っているテレビCMに富士ゼロックスの「モーレツからビューティフルへ」がある。さらに「ROPE & JUN」のCMにも感動した。確かその頃筆者は大学生であったと思うが、いずれもCMの意図はさっぱり理解できないながらも、なんとなく世の中が大きく変化しつつあることを感じ取ることができた。もっと遡れば小学生の頃なのか中学生の頃なのか定かでないが、旭化成の「ベンベルグ」の広告が妙に今でも心に焼きついている。当然広告の意味も商品も全く理解できない。しかしベンベルグ、ベンベルグという呪文めいたものが頭を駆け巡り、時代が大きく変わる予感を子供ながらに楽しんだ。

わかりやすい広告は確かにその場で理解されやすい。しかし一方で忘れやすいのも事実だ。

広告の意味をわずかな時間でも自ら探ろうと努力したものは、いつまでたっても記憶に残るものである。