.過ぎ去ったIRブームに見るCSRとの共通項

 

最近CSRという言葉を耳にするたびに、ある種の胡散臭さが感じられてしようがない。

ちょうど2002年ころだったか、突如としてIRブームが巻き起こった。いうまでもなくIR活動は投資家に対して適切な情報開示を行う説明責任のことである。多くの上場企業はそれを当然のこととして古くから取り組んできた。にもかかわらず、IRというあたかも新しい概念に乗り遅れると大変なことになる。こんな論調が散見された。極端なケースではIRを行うと株価が上がる、あなたの企業価値は本来株価○○円だが現在はその半分しかない、その原因は適切なIRをしてないからだ、といった半ば恫喝ビジネスまがいのIRコンサルタントもいたという。そして各社は、こぞって新しいIR活動に熱を入れることとなった。

その結果どうなったか。20034月から2007年春にかけて株価は指数で2.5倍近くにまで上昇した。個別企業では10倍以上の株価上昇を果たした企業も数多く見られた。ここまで見ると確かにIRによって株価が上がるといえるかもしれない。しかしその後はどうだ。2007年の天井を境に現在はほぼ出発点にまで戻ってしまった。ということは2007年から企業はIR活動をやめたということなのか。そうではないだろう。2007年以降もむしろより熱心にIRは行っている。投資家に対する説明責任を果たすために。

じつは筆者は1995年くらいからIR責任者も兼務していた。様々な証券会社にヒアリングしIRとは何なのかを研究するとともに、本当にIRが株価形成に影響を与えるのかどうか定点観測を行った。

1996年から3年間にわたって毎日十数銘柄の株価の動きとIRとの関連について観測し続けた。その結果得られた結論は、IRと株価はマクロでは連動しないということと、株価形成に大きな影響を与えるのは世界的な需給および個別銘柄の需給のみであることがわかった。と同時にその需給にインパクトを与える仕掛けとして株式先物市場の存在があることも。

わが国に株式先物市場が上場したのは1987年である。バブル真っ只中のこの時期、株式先物を利用して米国のヘッジファンドは膨大な売りを仕掛けた。そして1991年のバブル崩壊。件のヘッジファンドが多額の利益を手中にしたのはいうまでもない。世界的な需給をいち早く知った連中が、この金儲けのからくりを再び利用したのが2003年から2007年の指数上昇だと考えられるし、それにうまく便乗して一儲けしたのがIRコンサルタントだったのだろう。

昨今のCSRに半狂乱になっている社会動向を見ていると、どうしてもこのIR至上主義の時期を思い出してしまう。

 

2.ノブレス・オブリージュを自然に身につけていた伝統的な日本企業

 

少なくともわが国の伝統的な企業は、その存在理由を明確にするための説明責任や社会的責任をCSRという難解な言葉を持ち出すまでもなく実践していたことは、拙著「ASICAれ!」でも述べた。現在でも生き続けているであろうこれらの企業の社訓や家訓に、それが見て取れる。いわば日本版の「ノブレス・オブリージュ(社会的地位の高い人が自覚すべき義務)」として、当たり前のように社会に対する組織の責任を明示し、実践していた。

反面、世界的にCSRが叫ばれだしたのはエンロンやワールドコムなどの米国企業がもたらした不祥事がきっかけになっている。不正会計など社会を欺くこれらの行為の再発を防ぐために、コンプライアンスを徹底し内部統制を厳粛に行うことはCSRでも何でもない。企業として至極当然のことだ。それを取り立ててあたかも企業経営における新しい概念としてCSRを持ち出すのは、米国企業ならともかくわが国の企業には不似合いな気がしてならない。

拙著「ASICAれ!」で日本企業の特性として株式持ち合い制度や労働組合の存在、さらには年功序列や終身雇用などの制度が組織維持に欠かせない有効な仕組みがあったにもかかわらず、グローバリズムの大義名分のもとにことごとく放棄せざるを得なかったことを述べた。ちなみに株式持ち合い制度の解体によって放出された株式の大部分が米国のヘッジファンドに流れ、その結果多大な利益を供与したのはいうまでもない。つまり、本来わが国の企業が普遍的に大切にしていた社会的責任の通念を、CSRという一見新しい仕組みに組み直すことによって、またどこかの誰かが金儲けを企んでいるのでは、という気がしてならないのだ。