河内英司のBtoBコミュニケーション

広告/マーケティングの側面からと、無駄話。

2013年03月

「CSRに最適なメディアは広告であり、広告は最高のCSR活動である」という考え方(7/7)

9.CSRの前にGSRを!

 

CSR広告で社会に課題を提示し、自社の技術でソリューションをメッセージする。それこそ持続可能な社会の形成のために、将来広告の役割は予想以上に大きくなると思い描きながらも、何かしら喉の奥に小骨が刺さったような屈託を拭いきれない。

企業が社会的責任を果たすためにCSR活動に邁進するのは、前述の違和感がありながらもある程度理解できる。しかし最も大きな組織である国家の社会的責任に目を向ければ、首を傾げざるを得ない。国民への明確な説明責任が未だに果たされていない消費増税や原発問題を持ち出すまでもなく、前政権に見られた当初のマニフェストをことごとく反故にする国家。さらには緊縮財政や社会保障の大きな課題を生じさせる要因となった年金運用の失敗。国民が納めた粒粒辛苦の気が遠くなるほど膨大な額の年金を溶かしてしまった責任は、いったいどうなったというのだ。昨今のCSRブームの裏側に、国に社会的責任を果たす能力がないから企業が肩代わりせよ、とでもいうわけでもあるまい。

国は政府の社会的責任(GSR—-Government Social Responsibility)や政党の社会的責任(PSR—-Party Social Responsibility)こそが今全社会から求められていることに早く気づくべきだろう。

大きな組織に属する小さな組織や個は、大きな組織の価値観や風土に無意識的に支配されてしまうことは拙著「ASICAれ!」で記した。CSRをもっともらしく唱えながら、一方で国民の大多数が認めない政策を此れ見よがしに支持する財界を見れば、何か隠されたうまみでもあるのか、と勘ぐってしまうと同時にやはり冒頭に述べた胡散臭さが蘇ってくる。

またISO26000ガイダンスも、各国の主体性を失った統一によって当然のようにさまざまな問題を露呈し、今や全世界に厄介事を投げつけているEUが主導して策定したとなれば、その取り組みに少々二の足を踏んでしまうのも正直なところだ。あんただけには言われたくない、と。

GSRの果たされていない国家や世界にCSRが根付くはずはない。

「CSRに最適なメディアは広告であり、広告は最高のCSR活動である」という考え方(6/7)

8.クリエイティブにおける社会的責任

8-1.わかりやすい広告の落とし穴

CSR広告といいながらどうしても顧客誘引を目的としたくなるのが企業の性ではあるが、美辞麗句で飾り立てた広告にほとんど効果がないことは既に本書でも拙著「ASICAれ!」でも述べた。企業の説明責任のための広告なのだから、なぜその企業が社会に存在しているのか、社会に対してどんな役割を演ずることができるのか、をメッセージしなければならない。

さらにはASICAモデルで何度も紹介したように、最高のメッセージ広告は、今社会に存在する見えない課題を炙りだすことだ。そして自社独自の技術によるソリューションを提示する。この様式がこれからの広告の基本的なスタイルになると確信しているし、これこそがCSR広告ともいえる。

ところで広告のクリエイティブについてであるが、ここ数年徐々に質が低下してきているように感じて仕方がない。何がどうというのではなく、要するに感動しないのだ。メッセージ性が少なく変哲もないアピールだけが目につく。言い換えれば大変わかりやすい広告が増えてきている。だから感動しない。

最近よく耳にすることだが、広告はわかりやすくなければならないという風潮が大勢を占めている。企業の広告担当者が頭を悩まし練りに練った広告を役員会に上程した際、こんな表現ではわかりにくい、もっと平易な表現にしろ、と一喝されたことが一度ならずあるだろう。

今、学生の読解力が一昔前に比べてワンランク低下しているという。つまり現在の大学生は高校3年生並の読解力しかないということか。全てがそうとも思えないが、学生に限らず一般人も社会人もなんとなく心当たりはある。だから広告は誰にでも理解できるように平易な表現が望まれるのだろうが、ちょっと待って欲しい。

先に広告はその時代の文化を表す、といった。もとより文化には優劣はないが、できれば高品質な民度を維持したい、と思うのは広告人の端くれとして当然だろう。低レベルの層を基準に考えるのではなく、ある程度の知識と読解力を持つ層にふさわしい広告表現が文化形成にも国民の意識向上にも不可欠だと思う。

筆者の記憶に残っているテレビCMに富士ゼロックスの「モーレツからビューティフルへ」がある。さらに「ROPE & JUN」のCMにも感動した。確かその頃筆者は大学生であったと思うが、いずれもCMの意図はさっぱり理解できないながらも、なんとなく世の中が大きく変化しつつあることを感じ取ることができた。もっと遡れば小学生の頃なのか中学生の頃なのか定かでないが、旭化成の「ベンベルグ」の広告が妙に今でも心に焼きついている。当然広告の意味も商品も全く理解できない。しかしベンベルグ、ベンベルグという呪文めいたものが頭を駆け巡り、時代が大きく変わる予感を子供ながらに楽しんだ。

わかりやすい広告は確かにその場で理解されやすい。しかし一方で忘れやすいのも事実だ。

広告の意味をわずかな時間でも自ら探ろうと努力したものは、いつまでたっても記憶に残るものである。

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河内英司(かわちえいじ)
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京都教育大学教育学部特修美術科卒業。電気機器メーカーにおいて一貫して広報宣伝業務に従事。広報室長・コーポレートコミュニケーション室長を経て、2014年3月退職。  現在、カットス・クリエイティブラボ代表。(一社)日本BtoB広告協会アドバイザー。BtoBコミュニケーション大学校副学長。(独)中小企業基盤整備機構 販路開拓支援チーフアドバイザー
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