河内英司のBtoBコミュニケーション

広告/マーケティングの側面からと、無駄話。

2013年02月

「CSRに最適なメディアは広告であり、広告は最高のCSR活動である」という考え方(5/7)

7.最高のCSRメディアは広告。そして身近なCSR活動は広告

 

さてそこで企業の社会的責任についてもう少し慎重に見てみたい。

国連グローバル・コンパクト以前の問題として、企業には説明責任が存在する。すべてのCSRはこの説明責任が根幹となって展開されるべきだといわれている。企業が行う様々な経済活動は利害関係者に対する説明責任を果たしてはじめて社会から認められる。さらにいえば企業の存在そのものについて、その理由と社会に与える影響、つまり企業の存在意義を説明しなければならない。企業の説明責任というと、とかく不祥事を起こした際の謝罪も含めた経緯の説明と受け取られがちであるが、それはエンロン、ワールドコムなど企業の不祥事がCSR確立のきっかけになったことに起因している。

不祥事とは関係なく、企業が存在する以上、社会に対して自らの存在理由を説明し社会から同意を得ることが企業の永続的な発展につながってくるのである。

CSR報告書で説明責任を果たすことは十分可能だ。しかし常々感じていることなんだが、いったいCSR報告書は誰が読むのだろう?という疑問が頭から離れない。企業に対してCSR報告書を要求する人たちやWEBサイトのCSRページを閲覧する人たちがそのターゲットとなるのだが、あまりにも限定されてはいまいか。

同じ年次報告書でも、極端に限定された投資家をターゲットとするアニュアルレポートとは、本質的に異なる特性を持つと捉えるべきだろう。

社会に対する説明責任といいながら、限定された人々だけを対象にしていたのでは辻褄が合わない。社会全体をターゲットにするならCSR報告書のようなプルメディアではなくマスメディアを軸としたプッシュメディアが最適だと思う。ここでひとつ断っておきたいが、インターネット広告は一件プッシュメディアのように思われるが、パソコンという装置を介して訪問者の能動的な行為によって情報を得ることから、これはプルメディアと理解できる。

すなわち、企業の社会的責任の骨格をなす説明責任に最も適したメディアは、昨今のデジタル化の波で肩身の狭い立場にある「広告(新聞・雑誌・テレビ)」なのだ。今更広告の重要性を説いたところで時代遅れの感が否めないかもしれないが、じつは広告の機能にはCSRの要素が多く含まれていることにあまり気づかれていない。

これは広告そのものが、永らく商品宣伝やブランディングなど顧客吸引力を求めるために利用されてきたため、あまりにも商業主義的な匂いがするからだろう。

しかし一方で広告はその時代の文化を形成するとまでいわれている。広告を見ればその時々の文化がわかる、というのである。つまり広告には極端ないい方をすれば健全な社会と良好な文化を育成する機能があるともいえる。あまりにも行き過ぎた喧伝はプロパガンダとして危険な要素があるかもしれないが、独裁国家ならともかく、現在のわが国ではあくまでも広告主は企業であり、企業自らが社会を良くする手立てができるのだ。これこそが本当の、そして身近なCSRではないだろうか。

しかしながら昨今の不況で各社とも広告宣伝費は削減され、とてもとても営業に直結しない広告なんぞ手が出ないといった意見が予測できる。しかしよく考えてみれば、前述した雇用確保の放棄というCSRに反した行為が広告の世界でも起こっているとはいえないだろうか。

社会に対する説明責任のためのコストを削減する一方で、CSRを声高に叫ぶ矛盾。

それはともかく、不況は永遠に続くものではなくいずれ景気回復期がやってくる。広告は経費ではなく投資である。なので即効性は期待できず、その効果が現れるのは2~3年後だろう。このことから景気回復し安定成長に移行した際に効果をもたらすのは、意外にも不況時の広告展開であることもまた確かである。無い袖は振れないといわれるかもしれないが、今企業には膨大な内部留保が蓄積されているという。不況であるがゆえに金の使い道がないのだ。いうまでもなく金が回らなければ経済は活性化しない。景気回復のためにも各社挙げてCSR広告に精を出すことが、じつはもっとも現実的なCSR活動ともいえる。

「CSRに最適なメディアは広告であり、広告は最高のCSR活動である」という考え方(4/7)

6.企業の社会的責任を果たすために上場廃止した企業がある

 

ここでCSRの担当者なら誰もが知る企業の社会的責任についての象徴的な話題を紹介したい。

米国にあるジーンズの老舗リーバイ・ストラウス社(通称リーバイス)は1971年に上場し、古くから企業の社会性について独自の理念を持っていた。

1982年からHIV/AIDSの啓発と予防に積極的に取り組み、1991年に策定した「グローバル・ソーシング&オペレイティング・ガイドライン」は世界各国の製造請負業者や原材料調達先に対して、賃金、労働時間、労働条件、倫理など各種の条件に合致しなければ取引しないといういわばサプライヤー向けの行動規範であり、これは現在でもハンドリングされている。いうなればCSRの元祖だ。

ところがこのリーバイ・ストラウス社。1992年に児童就労の実態が明らかになった。普通の企業ならここで社長か誰かが記者会見し、誠に申し訳ない、以後気をつけます、で済ませてしまうのだろうが、リーバイ・ストラウス社はそうではなかった。それならばとまず現地に学校を作り、児童をきちんと教育し、就労年齢に達した時点で雇用する策を提示した。雇用の創出という社会的責任と同時に貧困層への雇用機会の促進といった地域社会への責任を果たそうとしたこの策に対して、株主から猛烈な反対があった。

学校を作って教育するような金があるなら配当に回せ、というのである。今でもどこかで耳にするような言葉だが、ここで当社がとった行動はLBOを利用したMBO(マネジメント・バイアウト---経営者による買収)によって上場廃止し、私有企業となったのである。

株主の金よこせ運動よりも企業の社会的責任を優先した出来事だった。

資本主義がもはや金融資本主義と姿を変え、企業の株式ですらマネーゲームのカードとされるなか、決して少なくない上場維持コストを負担してまで上場を継続する必然性を疑わせるとともに、企業としての矜持が社会的責任を果たす上での骨格となることを見せ付けられた。

ちなみに日本法人であるリーバイ・ストラウスジャパンでは、WEBサイトにCSRページもなければCSR報告書も発行していない。不思議に思って当社の広報に尋ねてみたところ、「グローバル・ソーシング&オペレイティング・ガイドライン」で厳密にサプライチェーンも含めて管理し、古くから社会的に不公正な立場にある人々を支援するなど、もはや企業の社会的責任は当たり前であり、取り立ててCSR活動をアピールするつもりはないとのことだった。これこそが本来のCSRだろう。企業の存在そのものが社会的責任と同義なのだ。冒頭に述べたCSRを絶叫すればするほど胡散臭くなる、とはこういうことだ。

さらに最近SRI(社会的責任投資)が騒がれだしている。CSRに熱心な企業に積極的に投資しようという触れ込みであるが、多くの場合ファンドを組成して投資を行うことになる。もとより企業の社会的責任は、直接的な利益を得るための営業活動とは一線を画している。

SRIがリターンを求めない政策投資なら理解できるが、金儲けの権化のようなファンドが純投資としてこれに関わることへ強い違和感を持つのは筆者だけではあるまい。IR同様にCSRがマネーゲームの手段になり下がるのでは、という危惧さえある。
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河内英司(かわちえいじ)
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京都教育大学教育学部特修美術科卒業。電気機器メーカーにおいて一貫して広報宣伝業務に従事。広報室長・コーポレートコミュニケーション室長を経て、2014年3月退職。  現在、カットス・クリエイティブラボ代表。(一社)日本BtoB広告協会アドバイザー。BtoBコミュニケーション大学校副学長。(独)中小企業基盤整備機構 販路開拓支援チーフアドバイザー
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