5.違和感がある最近のリクルート広告

 

広告では企業の根底に存在している思想や哲学から導き出されたメッセージを社会に向けて発信すべきだと述べたが、ことリクルート広告に関しては、まったく逆というか本末転倒の取り組みが未だに多く見られる。

リクルート広告はBtoB広告協会では完全なBtoB広告と位置づけている。
学生である人をモノにたとえるのはいささか気が引けるが、要は組織である大学や高校に所属する組織人としての学生を企業という組織が購入する、そのための広告ということだ。

ここで興味深いのはリクルート広告がBtoB購買プロセスとはまったく逆の様式を呈していることだ。つまり、本来なら売り手であるはずの学校が買い手の企業に対して広告するのがもっともなはずだが、現実には買い手側が広告している。

しかもほとんどの企業のそれが、自社がどれだけ素晴らしいかを、ヒステリックなフレーズを並べ立ててアピールしているのである。本来ならそんな美辞麗句はもう信じる人などいないはずだが、なんせ売り手にとってみれば多少いかがわしさが感じられても、自分を企業に買ってもらいたい一心で、とりあえずは信じるふりをするのだろうか。
 

ASICAモデルからリクルート広告を見るならば、まず課題探索。
これは売り手が買い手の抱えている課題を発掘するという意味からすると、学生側が企業について綿密な研究が欠かせない。ネットを利用したり企業訪問したりでバイトどころではない。ここでは企業側の飾り立てたメッセージなど何の役にも立たないはずだ。

そしてASICAのソリューション段階。学生自身がどの企業に対して得意とするソリューションを発揮できるのかを自覚する段階だが、このプロセスである程度自分の特性にあった企業に絞られるはずだ。今のようにとにかく何十社も面接を受けるなどは、言い換えればソリューションを持たない自分を好きなようにしてくれ、といわんばかりだ。
 

企業側にも問題がある。いかに自社の課題解決に役立つ人材を購入するかという観点から見れば、そもそも多くのリクルート広告に見られる自社アピールではなく、課題提供を行うべきだろう。
もっといえば、「我が社ではこのような課題がある。それを解決できない人材はいらない」とまで言い切ることも必要だ。採用試験に際しての面接官の役割も然りだろう。

日本BtoB広告賞の審査でいつも不思議に思うのは、応募される作品のほぼすべてに学生への媚びが見られることだ。なぜそこまして買い手が売り手に低姿勢になるのかよく理解できない。

こうした広告で惑わされ自ら確固たるソリューションの自覚もないまま入社したところで、永遠に自分の特性は発揮できないだろうし、その結果離職率も多くなる。
ただ企業としては色のついていない人材を思い通りに組織人化できるたやすさは、ある。
昨今の企業に突出した個性的な人材が見られないのは、案外このようなリクルートプロセスに問題があるのかも知れない。

前述の企業広告にしろリクルート広告にしろ、まず企業に眠る思想や哲学を社会にメッセージし、課題探索を社会に関与させることを忘れてはならないと思う。これはたとえリクルート市場が売り手優先になったとしても、矜持としなければならない企業文化の砦でもある。