いつかの新聞に「検疫探知犬」の活躍が紹介されている。この検疫探知犬は、空港などで海外旅行から帰ってくる人たちの荷物に、輸入が禁止されている畜産物がないかどうかを嗅ぎ分けるらしい。最近は、鳥インフルエンザやBSEなどの問題もあって、不用意にこのようなお肉や加工品を勝手に海外から持ち込むことが厳しくなっている。海外旅行では、日本では口にしたことのない珍しい味覚の食べ物に遭遇することが、ある。ついつい、これはうまい!、日本で売ってないから買って帰ろう、ってなるけど、そう簡単に持ち帰れるわけではない。ちゃんと空港の検疫所で、このお肉加工品は変なウイルスや輸入禁止物は含まれていないですよ、と言った検査証明書を出さないといけない。ま、普通の人はこんな証明書をわざわざ現地のお肉屋さんでもらわなくちゃならない、ってこともあまり気にしていないから、そのまま空港に到着して、ワン!っていうことになってしまうのであります。 この検疫探知犬以外にも、災害救助犬や麻薬探知犬、そしておなじみの警察犬など、私たち人間はずいぶんと犬のお世話になっている。そして最近の研究では、人間のガンを発見する犬も出てきているとか。皮膚ガンなどのガン細胞から出てくる独特のニオイを検知するのだそうだ。1989年にイギリスで、ある夫人がいつもはおとなしい愛犬に激しく吠えられて、足もとを噛みつかれた。びっくりした夫人は急いで病院に駆けつけ治療をしたところ、ちょうど噛まれた部分に皮膚ガンが見つかった、とか。またアメリカのある夫人は、自分の飼い犬がしきりに胸に鼻をこすりつけてくるのを不思議に思い、なんとなくその部分を触れてみるとしこりがあるのに気づいて、病院に行くと乳ガンと診断された、など。 そもそも犬の嗅覚は人間の100万倍から1億倍の能力を持っている。嗅覚は鼻の中にある嗅粘膜のまた中にある嗅細胞というのが、ニオイの分子をキャッチすることで成り立つわけであって、言い替えれば嗅細胞の数によって嗅覚の能力は決まってしまう。人の嗅粘膜は、ちょっと大きめの記念切手くらいの大きさですが、犬のそれはなんと新聞紙くらいの巨大な面積を持っているのです。当然そこにある嗅細胞の数も人にくらべて400倍なんですが、嗅覚が人の1億倍近いと言うことは、この細胞ひとつひとつの感度がまた、人とくらべて格段に高いと言えるのですね。 そこで疑問になってくるのは、よくこのように人の何倍・・・と言う表現がありますが、ではここで言う人って、いったいどんな人なのか、と言うことであります。たぶん人も大昔は今よりもはるかに嗅覚が良かったと思われますし、文明の発展とともに嗅覚が退化してきたのは間違いないはずです。たぶんここでは現代の人という定義なんでしょうけど、現代と言ってもまた幅広い。今ではほとんどの食品に賞味期限が表示されていて、神経質な人なら賞味期限が一日でも過ぎていたら、もう親の敵ような感覚で捨ててしまう。たぶん、臭いをかいで、これ、まだいける、とか言うような行為はなくて、賞味期限表示をそのまま信じて暮らしている。私が小学生の頃は、こんな賞味期限などどこをみても書いてなかったし、すべては自分の嗅覚が頼りだった。それも、貧しい時代だったから、臭いをかいで、ン?ちょっと酸っぱい気がするがもともとのニオイも微かにするし、捨てるのももったいないし、微妙なラインだけどオーケー、みたいな感じで毎日暮らしてきた。このときの嗅覚は今とくらべてもはるかに優れていた、と思う。 都会に暮らしている人が、お盆やお正月に故郷に帰ったとき、もう駅に着いた時から昔懐かしい街のニオイに気づく。家に帰れば、あっ、これがわが家だ、というそれぞれの家庭が持っている独特なニオイに、安心したりもする。賞味期限もそうだけど、ニオイは私たちの日頃の暮らしを生き生きとさせるエンターテイメントを与えてきたのであります。 最近は、俗に言う良いニオイ、ま、これを香りと言うのでしょうか、それが重宝されて、生き生きとしたニオイが消滅しつつあります。湿気を含んだ土壁とカビが織りなす微妙なニオイや、美味しそうな野菜を彷彿とさせる肥だめのニオイなどは、今や悪とされてこの世から消えてしまいつつあります。言うまでもなく犬や猫などは、良いニオイや悪いニオイという判断基準ではなくて、自分が生きていく上で必要な情報の一部として感知している。彼らはニオイをかいだだけで、こいつは敵か味方か、食べて良いのか悪いのかがわかるという。ま、人間の場合はニオイよりも見た目で、こいつは好きか嫌いか、を判別することがよくありますが、実は視覚と嗅覚には密接な関係があるらしい。人間の視覚は総天然色で色んな色が見えるが、犬や猫は特定の色しか見えない。人間の祖先である猿の研究で分かったのですが、視覚細胞の色を見分ける遺伝子が、進化すればするほど嗅覚は退化していくのだそうだ。テレビでも街角でもこれでもかっ、と言うくらい色彩が氾濫している現代、貴重な嗅覚が退化していくのも仕方ないのかも知れません。