河内英司のBtoBコミュニケーション

広告/マーケティングの側面からと、無駄話。

BtoC社会の崩壊と、心理的BtoB社会の形成

3.米国からもたらされたBtoC社会

ではなぜこの社会システムが崩壊したのか。1950年代半ばからテレビドラマを軸に怒濤のようにあふれ出したアメリカ文化が、組織に埋没していた「個」の概念を目覚めさせた。この頃から自由主義とか個人主義などが幅をきかせだした。そして我が国の社会全体が、雪崩のように個人尊重へと向かっていった。そして集合の最小単位であった家族は、その組織の維持よりもそれを構成する個人の価値観や夢を重視する傾向が強くなり、徐々に組織としての家族は崩壊した。一時期社会現象となった核家族化はその過渡期でもあった。 1960年代に入り様々なメディアが一気に氾濫し始め、「個の欲」をターゲットとしたプロモーションが花盛りとなった。BtoC広告の全盛期である。この状況はバブル崩壊とともに一時後退したかに見えたが、1995年頃に始まったインターネットと携帯電話によって、所謂One to Oneと言う新たなコミュニケーションスタイルの出現を見るにいたってその頂点を形成したかに思えた。しかし実はこの時期からマーケットでは奇妙な現象が現れだした。BtoC広告に対する反応が鈍くなってきたのである。これについて価値観やニーズの多様化とか若年層のメディア離れなど、様々な理由が取りざたされた。そして未だに明確な結論が得られないまま、昨今の不況と相まって現在の広告業界は悲壮感に包まれている。

 4.仮説---無意識の組織形成とBtoC

この不可解な現象に対して、一つの仮説を提示したい。それは我が国の社会は、もうすでに新たなBtoB社会へと進化し始めたのではないか、と言うものである。メディアの強烈な発展やとりわけ若年層の行動様式を見る限り、一見ますます「個」を重視したBtoC社会が進展しつつあるように思えるが、実はここに大きな罠が潜んでいる気がするのである。確かにメディアやネットワークは過去に例を見ないほど発展した。しかしこのことが「個」の希薄化とともに新たな組織を作り出す要因になっているのではないか。言い替えればあまりにも進化したメディアそのものに、何らかの特性を持った「個」同士を結びつける作用が生まれたのでは、と考えるのである。たとえば若年層の携帯メールの使用率を見れば、それぞれの「個」がある種特定のネットワークを築いていることに気付く。1950年代の毎朝顔を合わして挨拶を交わすネットワークではなく、ただ単に文字メールのみで繋がる見えないネットワーク(組織)である。そして頻繁なメールのやりとりが、この組織を維持していくのに欠かせない。これは数十年前に見られた家族を最小単位として近接した単位同士の集合による整然とした組織構成ではなく、組木細工のように社会の中であちこちに入り組んだ複雑な組織形態であり、しかもどちらかと言えば心理的な組織と言えるだろう。

ニオイ。

いつかの新聞に「検疫探知犬」の活躍が紹介されている。この検疫探知犬は、空港などで海外旅行から帰ってくる人たちの荷物に、輸入が禁止されている畜産物がないかどうかを嗅ぎ分けるらしい。最近は、鳥インフルエンザやBSEなどの問題もあって、不用意にこのようなお肉や加工品を勝手に海外から持ち込むことが厳しくなっている。海外旅行では、日本では口にしたことのない珍しい味覚の食べ物に遭遇することが、ある。ついつい、これはうまい!、日本で売ってないから買って帰ろう、ってなるけど、そう簡単に持ち帰れるわけではない。ちゃんと空港の検疫所で、このお肉加工品は変なウイルスや輸入禁止物は含まれていないですよ、と言った検査証明書を出さないといけない。ま、普通の人はこんな証明書をわざわざ現地のお肉屋さんでもらわなくちゃならない、ってこともあまり気にしていないから、そのまま空港に到着して、ワン!っていうことになってしまうのであります。 この検疫探知犬以外にも、災害救助犬や麻薬探知犬、そしておなじみの警察犬など、私たち人間はずいぶんと犬のお世話になっている。そして最近の研究では、人間のガンを発見する犬も出てきているとか。皮膚ガンなどのガン細胞から出てくる独特のニオイを検知するのだそうだ。1989年にイギリスで、ある夫人がいつもはおとなしい愛犬に激しく吠えられて、足もとを噛みつかれた。びっくりした夫人は急いで病院に駆けつけ治療をしたところ、ちょうど噛まれた部分に皮膚ガンが見つかった、とか。またアメリカのある夫人は、自分の飼い犬がしきりに胸に鼻をこすりつけてくるのを不思議に思い、なんとなくその部分を触れてみるとしこりがあるのに気づいて、病院に行くと乳ガンと診断された、など。 そもそも犬の嗅覚は人間の100万倍から1億倍の能力を持っている。嗅覚は鼻の中にある嗅粘膜のまた中にある嗅細胞というのが、ニオイの分子をキャッチすることで成り立つわけであって、言い替えれば嗅細胞の数によって嗅覚の能力は決まってしまう。人の嗅粘膜は、ちょっと大きめの記念切手くらいの大きさですが、犬のそれはなんと新聞紙くらいの巨大な面積を持っているのです。当然そこにある嗅細胞の数も人にくらべて400倍なんですが、嗅覚が人の1億倍近いと言うことは、この細胞ひとつひとつの感度がまた、人とくらべて格段に高いと言えるのですね。 そこで疑問になってくるのは、よくこのように人の何倍・・・と言う表現がありますが、ではここで言う人って、いったいどんな人なのか、と言うことであります。たぶん人も大昔は今よりもはるかに嗅覚が良かったと思われますし、文明の発展とともに嗅覚が退化してきたのは間違いないはずです。たぶんここでは現代の人という定義なんでしょうけど、現代と言ってもまた幅広い。今ではほとんどの食品に賞味期限が表示されていて、神経質な人なら賞味期限が一日でも過ぎていたら、もう親の敵ような感覚で捨ててしまう。たぶん、臭いをかいで、これ、まだいける、とか言うような行為はなくて、賞味期限表示をそのまま信じて暮らしている。私が小学生の頃は、こんな賞味期限などどこをみても書いてなかったし、すべては自分の嗅覚が頼りだった。それも、貧しい時代だったから、臭いをかいで、ン?ちょっと酸っぱい気がするがもともとのニオイも微かにするし、捨てるのももったいないし、微妙なラインだけどオーケー、みたいな感じで毎日暮らしてきた。このときの嗅覚は今とくらべてもはるかに優れていた、と思う。 都会に暮らしている人が、お盆やお正月に故郷に帰ったとき、もう駅に着いた時から昔懐かしい街のニオイに気づく。家に帰れば、あっ、これがわが家だ、というそれぞれの家庭が持っている独特なニオイに、安心したりもする。賞味期限もそうだけど、ニオイは私たちの日頃の暮らしを生き生きとさせるエンターテイメントを与えてきたのであります。 最近は、俗に言う良いニオイ、ま、これを香りと言うのでしょうか、それが重宝されて、生き生きとしたニオイが消滅しつつあります。湿気を含んだ土壁とカビが織りなす微妙なニオイや、美味しそうな野菜を彷彿とさせる肥だめのニオイなどは、今や悪とされてこの世から消えてしまいつつあります。言うまでもなく犬や猫などは、良いニオイや悪いニオイという判断基準ではなくて、自分が生きていく上で必要な情報の一部として感知している。彼らはニオイをかいだだけで、こいつは敵か味方か、食べて良いのか悪いのかがわかるという。ま、人間の場合はニオイよりも見た目で、こいつは好きか嫌いか、を判別することがよくありますが、実は視覚と嗅覚には密接な関係があるらしい。人間の視覚は総天然色で色んな色が見えるが、犬や猫は特定の色しか見えない。人間の祖先である猿の研究で分かったのですが、視覚細胞の色を見分ける遺伝子が、進化すればするほど嗅覚は退化していくのだそうだ。テレビでも街角でもこれでもかっ、と言うくらい色彩が氾濫している現代、貴重な嗅覚が退化していくのも仕方ないのかも知れません。

ホスピタリティに裏打ちされたBtoB社会

さてASICAの第二段階である「解決(solution)」の前に、極めて重要なポイントをお話ししたい。

1.我が国はもともとBtoB社会だった

前項でASICAモデルはBtoC分野でも適応が可能だと記したが、BtoBとBtoCの違いについて社会的な側面から見てみたい。BtoBは組織対組織、BtoCは組織対消費者個人と言う区分けがなされているが、そもそもなぜこのような違いが生まれたのであろうか。1950年代以前にまで遡れば、我が国はBtoB社会であったと考えられる。組織の最小単位は家族であり、家族の集合が町内会という組織に、あるいは校区で区切られた地域も言ってみれば一つの組織であった。そして街が形成され、最終的に国が形作られていた。そこでは「個」の価値観よりも家族を底辺にした組織の論理が歴然と存在していた。家柄とか家風・家訓が尊ばれもした。たとえば家族の最大の行事である婚姻は、個人同士ではなく家族対家族のイベントであった。それは組織の継続と維持、さらには持続可能な発展に不可欠な役割を果たしていた。家族の集合である町内や地域にしても、個人同士の付き合いというより家族同士の交わりの方が重視されていた。

2.BtoBビジネスの原点は「ホスピタリティ」

そしてそのコミュニティーに点在する様々な商店がビジネスの起点となっていた。八百屋に代表される商店は、各家庭の細部にわたる情報を握っていた。たとえばご主人の仕事や嗜好とか、子供は何歳くらいだとか、どんな親戚がいるのかなど日常的なコミュニケーションの過程でこれらの情報が自然に把握できていた。そしてこの情報を駆使して、その家庭にふさわしい商品を自ら提案したし、場合によっては献立まで指南することもあった。そう言えば八百屋は野菜料理のレシピを豊富に持っていたし、魚屋は魚料理が上手かった。御用聞きという独特のビジネスモデルでこのような商売が成り立っていたが、ここで言う御用聞きとは自店の商品を売り込むことだけでなく、時として客から依頼されたクリーニングの手配など、商売とはまったく関係ない作業もやってのけた。この根底にあるのがいかにしてお客様に喜んでいただけるか、と言うホスピタリティの精神である。地域社会の中でビジネスを継続して行くには、儲けよりもまず顧客に対するホスピタリティを重視することが必要だと自然に学んだのだろう。またある家庭で何か問題が発生した際には、それこそ隣近所が親身になってその解決に奔走するという今では考えられない風景が見られた。ここでも何とか相手に喜んでもらいたいというホスピタリティが自然な形で提供され、その結果が家族や地域と言った組織の適切な維持をもたらしたと考えられる。 ちなみにこの頃から企業は大きく発展を始めるが、その原動力としてまず従業員に対するホスピタリティが最優先された。年功序列や福利厚生などと言った世界に誇る我が国の企業システムが徐々にでき上がっていった。「会社は誰のものか」などと言った愚問は欠片も見られなかった時代である。 このように数十年前の我が国はれっきとしたBtoB社会であったし、その中でのビジネスの原点は「ホスピタリティ」であった。

ヒゲ。

もうほとんどの人が持っているデジカメの性能は、毎年毎年いや毎月毎月技術革新が進んで、今では数百万画素と言う解像度も普通のコンパクトカメラで手に入れることができる。画素というのは、写真の画面を構成する色のついた「点」のことで、これが多いほど精密な画面、つまり綺麗な写真になるということだ。 このデジカメと同じような機能を持った動物が、ネズミなんだ。ま、最近はとんと街中では目にすることはなくなったが、それでも地下鉄のホームなんかでぼーっと立ってると、線路脇をちょろちょろ動く、イタチくらいのバカでかいネズミが、妙に懐かしい感触を呼び起こしてくれたりもする。 このネズミの顔には、実は数百本もの「ヒゲ」があるのだ。正確には顔に生えている体毛とは違って、「洞毛」と呼ばれる特殊な毛ですが、鼻の脇だけじゃなくて、目の上や喉などにも生えている。ま、顔中ヒゲだらけの異様な風貌と言えるのだが、見た目にはそれなりの可愛さ、もある。そしてこのヒゲの根元は100本以上の神経がつながっている。1本のヒゲに対して100本の神経が、ヒゲに加えられた圧力の強さや方向を察知するのだそうだ。しかも、それぞれの神経はネズミの脳の中にあるバレルと呼ばれる神経細胞の集団にひとつひとつつながっている。つまり、1本のヒゲに対して、ひとつの神経細胞の集団が100の神経から寄せられた圧力や方向などの情報を処理する、と言うわけなんだ。で、その結果は、というと、残念ながらネズミの友達もいないため、詳しくは本人から聞いたわけではないけれど、人間の持っている科学の知識から推測すると、おそらくは3次元的なかたちで、ネズミは自分の突っ込んでいる顔の周りの状況を立体的に把握できているのでは、ということになる。 数百本のヒゲについて、それぞれ100個の神経細胞が活動するわけだから、ざっと無意味な計算をしてみると、数万画素の撮像素子(CCD)を脳の中に持っていることになる。デジカメの数百万画素には遠く及ばないかも知れないが、こちらはなんと3次元映像だから、私だったらこちらの方が、欲しい。 ま、こうなれば目をつぶっていても、顔を突っ込んだだけで頭の中のディスプレイには周りの立体映像が映し出され、自分がその中に入っても安全かどうかがわかる、と言う便利な代物なのであります。 最近、やたらとヒゲを生やす人たちが増えてきたようだが、人間のヒゲは、他人が認めるかどうかは別にして権威の象徴であったり、何となく頼りない顔面に締まりを与えるワンポイントであったり、もうそろそろ歳だからそれなりの風格も必要だしという暖簾代わりだったり、病気で入院中に剃らずにいたら、思いがけずひげ面が自分に似合っているのを実感する棚からぼた餅であったり、どうも剃るのが面倒で、なんとなくこんな感じになっちゃったというなまくらであったり、といろいろその事情はあるでしょうが、けっして生死に関わるような重要なものでもないと思うのです。それに対してネズミのヒゲは、自分が生きていく上で欠かすことのできない環境センサーやレーダーの役割を持っているのだ。ネズミはヒゲの先っぽが触れる程度の穴や隙間であれば、それをくぐり抜けられるらしいし、さらには、このヒゲが物音などの低周波音を感じる振動センサーの役割も持っているとも言われている。まさに自分が生きていく上での必要な情報を、数百本のヒゲから集中的にキャッチしているのだ。 人間のヒゲには、見栄え以外の効果はあまりないけれど、実は人間の体毛も、ネズミには遠く及ばないにしても、微かな圧力や環境の変化なんぞをキャッチすることができるのだそうだ。驚いたり感激したりすると、鳥肌が立つとか言うけれど、たとえば人の気配なんかも、この体毛の根元にある神経で検知できるのだとか。ま、本当かどうか知らないけれど、どんな人でも電気を帯びていて、その人がある場所からある場所へ移動しても、先にいた場所にはその人の電気が少し残っていて、その残留電気を皮膚表面の体毛が感じとると、おや?ここには誰かいたな・・・と、気づくというのであります。少々オカルトの世界ではありますが、心霊スポットとかにいくと、ぞくっとして寒気がするというのも、もしかして体毛センサーが何かを感じとっているのかも知れません。これも人間に残された、数少ないセンサーのひとつでしょうね。 それはそれとして、デジカメの機能も、最近はカメラだけではなくて、携帯電話やパソコンのディスプレイなどにもついて、身の回り中カメラだらけだけれど、どうも最近はこの優れた機能を、間違った用途に使っている輩が少なくない今日この頃ですが、ネズミ社会では、ちゃんとその機能を自分の短い人生のために必死に活用しているのであります。ネズミからヒゲをとったら、もう生きていけない。ミッキーマウスはむしろ人間なのかも知れない。

欲望社会から課題社会へ(ASICA理論の新たな展開)

すでに紹介したように「課題」「解決」「検証」「承認」「行動」のプロセスをもつASICAモデルは、AIDMAのような消費者の購買心理ではなく、購買動機をモデル化したものである。AIDMAでは言うまでもなく消費者個人の購買にいたる心理を解き明かしているが、現在の社会において、この心理は果たして商品やサービスの購買に際して有効に作用しているのだろうか。確かにAIDMAにおけるAttentionやInterestは広告企画で最も重要視すべき課題かも知れない。しかし現在のようなメディアの発展による情報過密状態で、もはや流通情報量が消費情報量を大きく上回る状況、つまり情報の消化不良を来している現状では、いくらAttentionやInterestを重視してもそれにヒットする確率は極めて少ない。さらに問題なのは、我々はこの情報氾濫の中で、すでにAttentionやInterestと言った心の動きそのものがマヒ状態であるとも言えることである。 1950年代から延々と続いた消費文化は、物財や情報を多く取り込んだ結果として、今度はこれらとともに暮らす新たな課題を生み出した。たとえば、食に対する欲望から飽食の時代へと移り変わり、現在では美味しいものを食べたいという欲望よりもいかに健康を保てる食材を求めるか、と言う課題に。また、ネットワークの普及によって、より多くの人たちとコミュニケーションしたいという欲望から、ひとたび築いた自己のネットワークをいかにして維持していくか、と言う切実な課題が生まれてきた。現代は欲望社会から課題社会に変化し、今、一人一人がそれぞれに何らかの課題を背負いながら暮らしているのだと考えられる。したがって広告やマーケティングにおいて今後重要なポイントは、今までのようないたずらに購買心理を煽り立てるのではなく、これらの課題をいかに効率よく発掘し、それを共有し、新たなソリューションを提示するかと言うことが購買動機に繋がってくると考えるべきである。ASICAモデルの第一段階である「課題(assignment)」はこのような観点から取り上げた。
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河内英司(かわちえいじ)
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京都教育大学教育学部特修美術科卒業。電気機器メーカーにおいて一貫して広報宣伝業務に従事。広報室長・コーポレートコミュニケーション室長を経て、2014年3月退職。  現在、カットス・クリエイティブラボ代表。(一社)日本BtoB広告協会アドバイザー。BtoBコミュニケーション大学校副学長。(独)中小企業基盤整備機構 販路開拓支援チーフアドバイザー
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