河内英司のBtoBコミュニケーション

広告/マーケティングの側面からと、無駄話。

ヒゲ。

もうほとんどの人が持っているデジカメの性能は、毎年毎年いや毎月毎月技術革新が進んで、今では数百万画素と言う解像度も普通のコンパクトカメラで手に入れることができる。画素というのは、写真の画面を構成する色のついた「点」のことで、これが多いほど精密な画面、つまり綺麗な写真になるということだ。 このデジカメと同じような機能を持った動物が、ネズミなんだ。ま、最近はとんと街中では目にすることはなくなったが、それでも地下鉄のホームなんかでぼーっと立ってると、線路脇をちょろちょろ動く、イタチくらいのバカでかいネズミが、妙に懐かしい感触を呼び起こしてくれたりもする。 このネズミの顔には、実は数百本もの「ヒゲ」があるのだ。正確には顔に生えている体毛とは違って、「洞毛」と呼ばれる特殊な毛ですが、鼻の脇だけじゃなくて、目の上や喉などにも生えている。ま、顔中ヒゲだらけの異様な風貌と言えるのだが、見た目にはそれなりの可愛さ、もある。そしてこのヒゲの根元は100本以上の神経がつながっている。1本のヒゲに対して100本の神経が、ヒゲに加えられた圧力の強さや方向を察知するのだそうだ。しかも、それぞれの神経はネズミの脳の中にあるバレルと呼ばれる神経細胞の集団にひとつひとつつながっている。つまり、1本のヒゲに対して、ひとつの神経細胞の集団が100の神経から寄せられた圧力や方向などの情報を処理する、と言うわけなんだ。で、その結果は、というと、残念ながらネズミの友達もいないため、詳しくは本人から聞いたわけではないけれど、人間の持っている科学の知識から推測すると、おそらくは3次元的なかたちで、ネズミは自分の突っ込んでいる顔の周りの状況を立体的に把握できているのでは、ということになる。 数百本のヒゲについて、それぞれ100個の神経細胞が活動するわけだから、ざっと無意味な計算をしてみると、数万画素の撮像素子(CCD)を脳の中に持っていることになる。デジカメの数百万画素には遠く及ばないかも知れないが、こちらはなんと3次元映像だから、私だったらこちらの方が、欲しい。 ま、こうなれば目をつぶっていても、顔を突っ込んだだけで頭の中のディスプレイには周りの立体映像が映し出され、自分がその中に入っても安全かどうかがわかる、と言う便利な代物なのであります。 最近、やたらとヒゲを生やす人たちが増えてきたようだが、人間のヒゲは、他人が認めるかどうかは別にして権威の象徴であったり、何となく頼りない顔面に締まりを与えるワンポイントであったり、もうそろそろ歳だからそれなりの風格も必要だしという暖簾代わりだったり、病気で入院中に剃らずにいたら、思いがけずひげ面が自分に似合っているのを実感する棚からぼた餅であったり、どうも剃るのが面倒で、なんとなくこんな感じになっちゃったというなまくらであったり、といろいろその事情はあるでしょうが、けっして生死に関わるような重要なものでもないと思うのです。それに対してネズミのヒゲは、自分が生きていく上で欠かすことのできない環境センサーやレーダーの役割を持っているのだ。ネズミはヒゲの先っぽが触れる程度の穴や隙間であれば、それをくぐり抜けられるらしいし、さらには、このヒゲが物音などの低周波音を感じる振動センサーの役割も持っているとも言われている。まさに自分が生きていく上での必要な情報を、数百本のヒゲから集中的にキャッチしているのだ。 人間のヒゲには、見栄え以外の効果はあまりないけれど、実は人間の体毛も、ネズミには遠く及ばないにしても、微かな圧力や環境の変化なんぞをキャッチすることができるのだそうだ。驚いたり感激したりすると、鳥肌が立つとか言うけれど、たとえば人の気配なんかも、この体毛の根元にある神経で検知できるのだとか。ま、本当かどうか知らないけれど、どんな人でも電気を帯びていて、その人がある場所からある場所へ移動しても、先にいた場所にはその人の電気が少し残っていて、その残留電気を皮膚表面の体毛が感じとると、おや?ここには誰かいたな・・・と、気づくというのであります。少々オカルトの世界ではありますが、心霊スポットとかにいくと、ぞくっとして寒気がするというのも、もしかして体毛センサーが何かを感じとっているのかも知れません。これも人間に残された、数少ないセンサーのひとつでしょうね。 それはそれとして、デジカメの機能も、最近はカメラだけではなくて、携帯電話やパソコンのディスプレイなどにもついて、身の回り中カメラだらけだけれど、どうも最近はこの優れた機能を、間違った用途に使っている輩が少なくない今日この頃ですが、ネズミ社会では、ちゃんとその機能を自分の短い人生のために必死に活用しているのであります。ネズミからヒゲをとったら、もう生きていけない。ミッキーマウスはむしろ人間なのかも知れない。

欲望社会から課題社会へ(ASICA理論の新たな展開)

すでに紹介したように「課題」「解決」「検証」「承認」「行動」のプロセスをもつASICAモデルは、AIDMAのような消費者の購買心理ではなく、購買動機をモデル化したものである。AIDMAでは言うまでもなく消費者個人の購買にいたる心理を解き明かしているが、現在の社会において、この心理は果たして商品やサービスの購買に際して有効に作用しているのだろうか。確かにAIDMAにおけるAttentionやInterestは広告企画で最も重要視すべき課題かも知れない。しかし現在のようなメディアの発展による情報過密状態で、もはや流通情報量が消費情報量を大きく上回る状況、つまり情報の消化不良を来している現状では、いくらAttentionやInterestを重視してもそれにヒットする確率は極めて少ない。さらに問題なのは、我々はこの情報氾濫の中で、すでにAttentionやInterestと言った心の動きそのものがマヒ状態であるとも言えることである。 1950年代から延々と続いた消費文化は、物財や情報を多く取り込んだ結果として、今度はこれらとともに暮らす新たな課題を生み出した。たとえば、食に対する欲望から飽食の時代へと移り変わり、現在では美味しいものを食べたいという欲望よりもいかに健康を保てる食材を求めるか、と言う課題に。また、ネットワークの普及によって、より多くの人たちとコミュニケーションしたいという欲望から、ひとたび築いた自己のネットワークをいかにして維持していくか、と言う切実な課題が生まれてきた。現代は欲望社会から課題社会に変化し、今、一人一人がそれぞれに何らかの課題を背負いながら暮らしているのだと考えられる。したがって広告やマーケティングにおいて今後重要なポイントは、今までのようないたずらに購買心理を煽り立てるのではなく、これらの課題をいかに効率よく発掘し、それを共有し、新たなソリューションを提示するかと言うことが購買動機に繋がってくると考えるべきである。ASICAモデルの第一段階である「課題(assignment)」はこのような観点から取り上げた。

閑話、子育て。

感動的な出来事があったので、今回は動物センサーから少しずれるけれど、ちょっとムダ話をしてみます。
近くのお寺で毎夜、猫たちにお食事デリバリーをして、もう11匹の大集団になってしまった。時折遅刻してくるものや、お休みの猫もいるけど、ま、賑やかなレストランテのひとときを楽しんでくれている。不思議なもので、毎日ちゃんと決まった時間にお食事がもらえるとなると、ちょっと前までガサガサしてなんとなく落ちつきのなかった子も、見違えるようにお利口さんの礼儀正しい猫になってしまうのである。11匹の組織を上手く守っていくために、自然とリーダー役や世話役、争いの仲裁役なんかが決まってくるのだ。でもその中でも、いぜんとして自分を絶対に曲げない頑固な輩も、いる。ゴエモンというその猫は、容貌も不気味でとても普通の猫とは思えない大きな顔に、目と鼻ががさつについている。辺り構わずケンカを売ってくるこのゴエモンが来ると、他の猫たちは、まるでツチノコのように一斉に這い蹲ってその行動を注視するのであります。だからゴエモンだけは、みんなと少し離れた場所でお食事をとってもらうことにしている。
今から3ヶ月くらい前、リナという雌猫が1匹の仔猫を連れてきた。リナはそれまでそんなにお腹も大きくなく、ほとんど毎日お寺に来ていたので、その仔猫がリナの子かどうかは分からないけど、見た目にはほほえましい親子だ。初日から数日間、リナは決して仔猫を10匹の集団に近づけようとはせず、お寺の山門あたりに一人残し、自分だけ食事に来ていた。あまりにもかわいそうだと思って仔猫の近くに食事をもっていくと、恐る恐る口を付けるが、遠くからじっと見つめているリナの視線がある。やがてそれから数日たつと、こんどはレストランテと山門の中間当たりに仔猫を移し、自分もそこで食事をするようになった。というより、自分の食事を分け与えているような優しい素振りが伺える。食事が終わると、リナは仔猫の毛繕いに精を出し、仔猫はお母さんに甘えたいのが半分、他の猫たちと遊びたいのが半分、といったどこかぎこちなさげな様子。この仔猫にシジミという名前を付けた。
それから数日たつと、相変わらず食事の場所は同じだが、食事のあとのシジミの毛繕いが終わると、リナはシジミから離れていくようになった。シジミはどういうわけか、あのゴエモンがたいそう気になるらしく、彼の元に歩み寄ろうとするのだけど、ゴエモンが「なんか用か?。このチビ。」って様子で睨みつけると、シジミは一瞬でたじろいでしまう。このときもリナは数メートル離れたところから、じっとシジミの行動を監視している。言うまでもなく、11匹の猫たちの中で、唯一ゴエモンだけが不良というか、背中に入れ墨のごとくにマークされている注意人物なのだ。他の猫にはあまり気にしないリナが、ゴエモンだけにはいつも注意を払っているようで、必ずどんなときでもシジミとゴエモンの間に、リナがいる。
じつはこのシジミ、11匹の中のチッチという雄猫にそっくりなのだ。チッチはレストランテをはじめたときからのチャーターメンバーで、もう3年近くのつきあいになる。ちょうどシジミくらいの大きさの時だったな。よく眺めてみると、シジミとリナの関係以外に、必ずチッチが絡んでいることが分かる。ゴエモン包囲網の時も、リナはゴエモンとシジミの中間地点に位置し、チッチはそれとは90度位の角度を持ったところで監視をしている。ゴエモンが「もうワシは腹一杯。帰る。」といったときも、シジミとリナ、チッチの位置関係は微妙に維持されながら変化していくのだ。ゴエモンが去った後は、3匹でほんとに仲むつまじく食後のひとときを、まったりと過ごしている。雄猫は自分のこどもの面倒は見ない、とよく言われるが、この光景からは決してそんな風には思えない。お父さんの役割をきちんと果たしている。
そんな状態がひと月近くたった時、食事が終わってほとんどの猫が三々五々帰った後、シジミが一人で樹で爪研ぎしたり落ち葉で遊んでいた。ああ、やっと親離れしたんだな、と頼もしく思って眺めていると、背中の向こうで何やら気配がする。ん?、と思って振り返ると、10メートルくらい離れた暗闇で、やっぱりリナが監視していた。そしてよくよく見渡してみるとチッチも別の方向から。おもわず、あっゴメンね、と呟いてしまった。
あるとき、もう何もかもがおもしろくて仕方ないシジミが、他の猫同士がにらみ合いをしているその真ん中を、さっと通り過ぎた。「ね、みなさんケンカなんかしちゃだめですよお。」という風で、あるいは、「そんなに睨めっこしないで、僕と遊ぼうよ。」といわんばかりに足早に通り過ぎた。するとリナはおもむろにシジミに近づいて、猫パンチ1発。「あの人たちはね、今むつかしいお話しをしているの。邪魔しちゃだめ。」と無邪気なこどもを窘めるように。
またあるときは、「はやくちょうだいよお。おなかすいた。」とニャオニャオお食事を催促していると、「黙って待ってなさい。そんな声出すと怖いおじさんに見つかっちゃうから。」といわんばかりに、このときもリナが強烈な猫パンチ。よく、母親にちゃんと育てられた野良猫は、上手に道路を渡るので車に轢かれることが少ないけど、早くから母親と離れたこどもはそれが分からないから交通事故に遭ってしまうといわれる。こうして大人の社会に上手くとけ込んでいく術を、身をもって教えているんだな。
この3ヶ月間、よちよち歩きのこどもが、どのようにして一人前になっていくのか、そしてそのときの母親や父親の役割がどんなに大事なものか、知らされた。たぶんお寺に来た頃が生後2〜3ヶ月だから、今ではもう人間に直すと10歳近くになっているはずだ。まるで早送りのビデオを眺めているように、子育てで一番大切な時期を目の当たりにすることができた。食事が終わった後は、いつもリナやチッチのそばから離れなかったシジミは、今では他の猫たちとそれぞれに楽しそうな時を過ごしている。リナやチッチはまるで何事もなかったかのように、決してシジミの世界を侵そうとはしない。別に保育園にも幼稚園にも行っていないし、母親学校にも行っていない。生まれながらにして持っている、母親としての本能と、父親としての本能が、また新しい大人を育て上げたのだ。そして見事とも言える親としての引き際。
親離れのできないこどもや子離れのできない親。新聞を見ればこどもの虐待やいじめ。地下鉄に乗ればお年寄りをさしおいて、我先に席を取ろうとする横着なこども。こどもをほったらかして、パチンコに現を抜かす親。
動物的とか本能的とかといえばちょっとワイルドで、理性とは対極にあるような言葉だけど、むしろ動物にはそれこそ倫理をも含んだ論理的な生き方や生かし方が、その本能に備わっているのだ、と教えられた。

知能と知識、そして情報。

地球環境と対話する動物のセンサーについて考えれば考えるほど、ま、だいたい人間のセンサーは動物たちとくらべると、恥ずかしいくらいいい加減であることが分かってきた。そういえば、去年の冬は、いつになく寒かった。デパートなんかでも、冬物の洋服がどんどん売れて、日本のGDPに貢献したらしい。でも、こんなことやってるのは人間だけで、動物たちは寒かろうが暑かろうが自前の洋服をきちんと取り替えて、一年をうまく過ごしている。
洋服という人工物を作る知識と技術を身につけたから、自然との対話を忘れたとも言えるし、自然との対話と引き替えに、この技術を身につけたとも言える。どっちにしても、人間は自然とともに生きる動物に、なくてはならない自然の微妙な変化を感じとるセンサーを捨てて、合理的な代替物と共に生きる道を、選んだわけだ。
日常生活に一番身近な天気にしても、むかしなら、長老のおじいさんが、空を見上げて、ン?、明日は雨だ・・・といったら、たいがい雨だった。最近は人工衛星やコンピュータを駆使して、天気予報してるけど、残念ながらカエルの予報の方が当たってるような気がする。
おじいさんの天気予報とコンピュータの天気予報では、そのもとになる情報の量は格段に違う。というより質が違うのかな。おじいさんのは空を見て、雲を見て、風の流れを見て、ま、ほかに鳥やカエルやそこらにいる動物の動きを察知して、ン?明日は雨だ、となるんだけど、その頭の中は、おじいさんが生きてきた毎日の出来事がぎっしり詰まっていて、その情報と照らし合わせて天気予報しているのだろう。勘、といってしまえばそれまでだけど、じつはその勘こそがセンサーと同義語なのであります。そしてこの勘というものは、白か黒か、プラスかマイナスか、1+1=2といった、理屈にかなった見方とはまったく無縁の代物で、白みがかった黒であるとか、1+1=2.5かもしれないというような、ま、いい加減といえばいい加減な世界なのですね。
いいかえれば、コンピュータに何もかもお任せの今の時代に生きている人たちは、勘がにぶいともいえるわけですが、ほとんどの現代人からは、それがどうした、と開き直りのお言葉を頂戴するでしょう。
コンピュータが私たちの暮らしにあふれて、たしかに便利になった。とりわけ1995年頃から普及しだしたインターネットで、どんな情報でも自宅でせんべいかじりながら手に取ることができる。でもその一方で、どうも情報を処理する私たち人間の能力に、かげりが見え始めているらしい。
ここに面白いデータがある。総務省からだされた、「情報流通センサス」報告書を見てみると、インターネットが普及する前の1980年頃は、電話やテレビや新聞や、ま、ありとあらゆる情報の、一年間に発信された量が13.4京ワードだという。京というのは何も京都の略称ではなくて、いち、じゅう、ひゃく、せん・・・と進んでいって、兆の次の位のことで、ケイとよばれて10の16乗という膨大な数字になる。一方で、そのときに私たち人間が消費した情報量は、1.21京ワードだったので、10個にひとつくらいは選ばれて、自分の役に立つように使っていたといえる。このときはまだまだ人間の情報処理能力には余裕があった。でも、インターネットが普及しはじめた1996年頃では、情報量は43.5京ワードで、消費情報量は2.83京ワード。ま、20個にひとつとなりました。そして2003年にはなんと4,710京ワードの情報のうち、消費できたのは20.3京ワードということで、230個にひとつとなってしまった。人間の能力もたいしたもので、この間の情報処理能力は20倍に増えているけど、もうそろそろ限界に近いのだとか。
いいかえれば、1980年頃は、ご飯食べなさい、勉強しなさい、手を洗いなさい、と10個いわれて、はいはいわかりました、それではご飯を、となって、ま、何とか余裕が持てた。それが今では、ご飯食べなさい、勉強しなさい、手を洗いなさい、学校行きなさい、本を読みなさい、テレビを見るな、遊ぶな、こっちへ来い、と230個もいろんなこと言われて、もうシッチャカメッチャカのなかでなんとかひとつ選んでいる状態なんだ。
こんなに情報があふれた暮らしの中で、それこそ自然との対話なんぞ、しているヒマもないし、その間に私たちの勘はにぶり、センサーが衰退していくのであります。
実際、まわりを見渡してみれば、ここ十数年の間に私たちは、これでもか、といわんばかりの情報に囲まれ、知識も昔とは比べものにならないくらいに増えた。でも、たとえば、地下鉄の座席で周りの目もはばからず、ワシの足はこんなに長いんだ、といわんばかりに大きくふんぞり返っているオジサンや、世界は家庭の延長という感じで、わがもの顔で携帯電話に熱中する人など、けっしてモラルというか、人間の質みたいなものが良くなったとは思えない。
他人の微妙な心を感知できるセンサー、人を気遣うセンサー、こういったコミュニティーで生きていくのにだいじなセンサーの機能が、最近故障だらけというのも、地球環境の破壊と無縁であるとは思えないのであります。
以前、このコーナーで、一ヶ月くらい何も話さない、言葉を使わない状態を試してみたら、きっと私たちのセンサー能力がよみがえる、といったけど、同じように、一ヶ月くらい、ちまたの情報を遮断して、仙人気取りになってみるのも、いいのかもしれない、と思う。

渡り鳥とナビ。

冬の到来とともに、渡り鳥たちも気ぜわしくなってきているようですね。毎年きまったところに、きまった頃にやってくる。その数が環境問題のせいか、年々少なくなっているとはいえ、やっぱりきまった頃にやってくる。渡り鳥が、どうして行き先を判別できるのか、30年くらい前から研究されているのだが、まだはっきりとした結論は出ていないようだ。そんな中で、何となく、これだ、というのが地磁気説であります。多くの鳥には生体磁石、つまり身体の中に磁石をもっているらしく、これがコンパス代わりになって、方向が分かるのだそうです。身体の中に耳石器という器官があって、その耳石が磁性をもっている。これが地磁気の変化によって感覚細胞を刺激するのだ、とか。身体の中に、あの、磁石があること自体、大変不思議なのでありますが、実は多くの生物にその磁性体があることが分かってきています。有名なのは魚。サケが毎年同じ場所で卵を産むために帰ってくるのも、この磁石のおかげということです。ま、サケについては他に生まれ育った場所の臭いを記憶している、という説もありますが。
生体磁石の発見は、1979年に米国の大学生が海底の底に生息するバクテリアを見つけたことがきっかけといわれています。このバクテリアに磁鉄鉱を脂肪酸で覆った生体磁石の存在が分かったのです。磁鉄鉱なんぞ、地球上のどこにでもあって、それが海底の泥に生息する生物の身体に含まれる、と考えれば、そんなに不思議ではないですし、それと接する魚にも存在するのも、また、当たり前といえば当たり前です。ま、いわゆる食物連鎖のひとつなんでしょうか。
ところで、私たち人間の身体にも磁石があることをご存じですか。ひとつは脳下垂体という脳のちょうど真ん中あたりにある器官で、いろんなホルモンを分泌する重要な役割をもったところですが、この脳下垂体の前の方に磁気器官があるのだそうです。そしてもう一つは、脳の中央部にあるといわれる松果体という器官です。この器官は下等動物では第三の目といわれ、おもに光の明暗を感知するらしいです。鳥の松果体には時計機能も備わっていて、体内時計の調整にも使われています。人間ではここでも地場を感知することができます。さらには、人間の両目の間にある篩骨という骨にも、ごくわずかな鉄分が含まれていて、これが方位磁石の役割をしているとも言われています。こうしてみると人間も、なんだか磁石の固まりのようで、やっぱり地球人なんだな、と思ってしまうのであります。
最近は、なんとかナビといって、遠くに行くにも地図なしで、300メートル先右方向へ、といった音声ガイドが、もう生活の必需品のようになってしまって、そこらじゅうに地図音痴が増えていますが、もともと人間は鳥と同じように地図なしでも歩き回れる能力があったのですね。
鳥をはじめとした多くの生き物に磁石が備わっていて、磁石の親玉でもある地球と交信していたのは、まぎれもない事実ですが、渡り鳥の帰巣本能として地磁気説に異議を唱える学者もいるそうです。
ある学者が、意地の悪いことに鳥の頭に強力な磁石をくっつけて、わざと磁場の感覚を狂わせた実験をしたのですが、それでも鳥はきちんと方向を感知することができた、というのです。だから地磁気説は間違いだと。ま、どちらでもいいんですけど、実は鳥の目の中には櫛状体(しつじょうたい)という不思議な器官があります。字面からすれば、ちょうど櫛のようになった細胞とでもいうのでしょうね。ここで、映像をよりはっきりと見えるように調節するそうです。そしてこの器官を使って、なんと、昼間でも星座を見ることができるのであります。むかしNHKのウルトラアイという番組で、煙突の底から空を見れば、星座が見えるか、という実験があった。結果は残念ながら見えなかったらしいが、これは昼間、星を見にくくしている太陽からの散乱光をできるだけ少なくすれば、もしかして星が見えるかも、という期待から行われた実験で、ようは、煙突で散乱光を遮ってしまえば昼間でも星が見えるのでは、という理屈であります。鳥の場合は、櫛状体の櫛の部分で散乱光を遮って、星座を頼りに方向を察知しているというのがこの説。私は個人的には、この説の方がロマンチックで魅力的に感じます。
どの説が本当なのか、残念ながら我々人間の科学力をもってしても、まだ明確な回答は残せないままですが、自然と向き合っている生物には、ちゃんと生活していく機能がはじめから備わっているのですね。
たまには、ナビのお世話にならずに、気の向くままに生体磁石にでも頼って、歩き回ってみるのもいいかもしれません。
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河内英司(かわちえいじ)
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京都教育大学教育学部特修美術科卒業。電気機器メーカーにおいて一貫して広報宣伝業務に従事。広報室長・コーポレートコミュニケーション室長を経て、2014年3月退職。  現在、カットス・クリエイティブラボ代表。(一社)日本BtoB広告協会アドバイザー。BtoBコミュニケーション大学校副学長。(独)中小企業基盤整備機構 販路開拓支援チーフアドバイザー
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